総合アウトドア用品のモンベル(mont-bell大阪市)と言えば、アウトドアスポーツを楽しんでいる人で知らない方はいないと思います。
特に実地検証と体験に基づいた商品づくりに信頼をおいて、ずっと使い続けている人は多い。
しかもブランド価値を世界的に高めつつも、価格は機能性と品質を鑑みた場合、リーズナブルだと言えます。
そのモンベルの創業者であり会長の辰野勇氏は、一代で売上高540億円(2014年度)の国内最大手に育て上げました。
自身もアルプス三大北壁の1つ、スイス「アイガー北壁」を世界最年少で登頂した経歴を持っていることは、有名で商品カタログにもその勇姿が掲載されています。
登山家の視点からの商品開発を進め、登山で磨いた「決断力」とは?
将来を見据えて困難な道をあえて選ぶことが大切
登山は、一瞬の判断が生死を分けます。
例えば天候が崩れそうな時に「登るか、下るか」といった決断を瞬時に求められます。
天候だけでなく、非日常的な自然環境のまっただ中で、次々と決断をしながら前に進んでいかなければならない。
しかも、決断はその状況において的確でなければ命を落とします。
辰野氏も多くの仲間を山で失ったという。
目もくらむ岩山に挑む登山家は、アウトドアスポーツをレジャーとしか捉えていない普通の人々から見ると、向こう見ずな人種と誤解されますが、実は怖がりな人種です。
怖がりだから、登山家は晴天でも雨具を持ち歩き、日帰り登山でもヘッドランプをザックに忍ばせます。
これは経営に置き換えると、リスクマネジメントということになります。
登山もビジネスも、備えがきちんとあれば、多少のトラブルが発生しても前進できます。
だから、アウトドアスポーツを真剣に取り組んでいると、自然に早い決断も可能になるのです。
経営者に限らず、組織のリーダーは毎日数限りない決裁が求められます。
ただ辰野氏の言う決断とは、将棋の定跡のように過去の経験から失敗しない選択肢を選ぶことではありません。
将来を見据えて、困難な道をあえて選ぶことが大切なのです。
1975年8月1日、28歳の誕生日の翌日にモンベルを設立、約40年の間に大きな決断を迫られたのは7回だった
辰野氏は、91年に大阪駅構内に直営1号店を出したことは大きな決断だったという。
この頃のメーカーは、問屋を通して小売店に卸すのが当たり前の時代でした。
その慣習を破って、自分で店を出したのです。
しかも、店の隣には大阪市内で最もモンベルの商品を扱っていた登山用品の専門店がありました。
モンベル直営店で1万円で販売している商品を、隣の専門店では8千円で売っていたのです。
一般的に量販店では様々なメーカーの商品を扱っています。
だからモンベルの商品が何百種類あっても、店頭に並ぶのは雨具など売れ筋の数十種類です。
モンベルの商品が、他のブランド商品の中に埋もれてしまっていたのです。
これでは、いつまでたってもモンベルというブランドをユーザーに認知してもらえない。
モンベルブランドを確立するには、自分たちでリスクを背負って看板を立てなくてはいけないと辰野氏は判断しました。
その時に売り上げの4割を占めていた米大手パタゴニアの代理店を、やめたことも転機になったという。
近年には8つ目の決断をされました。
モンベルが、中日新聞社から老舗の山岳雑誌「岳人」の出版事業を引き継いだのです。
雑誌の出版という新たな分野への挑戦に対して、課題は山積み。
しかし、70年近い歴史がある「岳人」という山岳雑誌が担うべき役割があると信じ、辰野氏自身が編集長となられました。
困難な道を越えて向こうを見たいと思うのは、登山家の性かもしれません。
※辰野勇(たつの・いさむ)1966年大阪府立和泉高校卒。高校時代に読んだ本に感銘を受けて登山家を志す。69年に当時世界最年少でアイガー北壁の登はんに成功。登山用品店などを経て、75年モンベル設立。大阪府出身。
※参考/2015年 日本経済新聞より