2013年4月17日、ジョン・ミューア・トレイルをはじめ、世界や日本の自然を歩くロングトレイルに関する紀行文やエッセイで知られる加藤則芳さんが、筋委縮性側索硬化症(ALS)のため亡くなられました。
私は著作「ジョン・ミューア・トレイルを行く」という本で、加藤則芳さんのことを知り、自然を長距離歩く旅に魅了されました。
それから数年後、私がはじめて加藤さんをテレビで見た時は、すでに病床に有り、難病にかかっていることを知りました。
自分の身体ほどもあるザックを背負って歩かれている姿しか知らなかっただけに、とても驚きました。
先日、1999年に発行されたOUTDOORという雑誌(廃刊)に掲載された加藤さんの記事の切り抜きを、私は残していたことを思い出し見つけましたので、ここに転載させて頂きます。
遊歩から生まれる大いなる自由と歓喜加藤則芳
人はなぜ歩くのか?
その答えは、歩いたことがある人に聞くのがいちばんだ。
テントの布1枚で隔てられた夜の世界と、その息吹。
大地を踏みしめるときの肉体と精神の純化。そして人々との出会い。
自然を見つめ、歩いてきた加藤則芳さんにその答えを聞いてみよう。
クマの恐怖に怯えながら、テントのなかでまんじりともせずに過ごした夜のことを、今でもはっきりと覚えている。憧れだったヨセミテ国立公園のバックカントリーでの、それははじめてのキャンプの夜であり、以後、訪れること十数回。合計100日を超えるテント生活をすることになるシエラネバダのウィルダネスへの記念すべき最初の一夜だった。
そこは一般観光客でごった返すヨセミテ渓谷からわずか4・7マイル(7・5km)の地点で、いわばウィルダネスへの玄開口として、バックパッカーたちの格好のテントサイトになっている場所だった。アメリカの国立公園は、原別としてバックカントリーにキャンプグラウンドの施設はない。ルールを守りさえすれば、いつどこでキャンプしょうが自由なのである。だから、ウィルダネスの懐深く押し入っていけば、そこには真の孤独なキャンプが待ち受けている。
その晩そのサイトには、ぼくの他に何組かのキャンパーがテントを張っていた。フリーズドライで簡単な夕食をすませ、うん、これぞ愉悦のひととき、などと満足げにコーヒーの香りを楽しみつつ日誌をつけて、シュラフに潜りこんだ。テントの外は満天の星空。星明かりで、針葉樹の森が影絵のように黒く浮き上がっている。
まだ夜の9時。眠れるわけはない。いよいよこれがアメリカのウィルダネス初夜なのだと思うと、よけいに胸が高鳴り目が冴え、覚醒状態に陥ってしまう。そして、ふいに恐怖心が襲ってきた。
コリン・フレッチャーの言葉が脳裏に浮かんだ。
「背中に負える程度の装備だけを頼りに、指定のキャンプサイトを離れ、山中でひとり眠る図を頭の中に思い描いただけで、尻ごみを始める人が少なくないようだ。蛇や熊、はたまた山賊の心配までとりざたする」(『遊歩大全』芦澤一洋訳 森林書房刊)
いや、ぼくは尻ごみはせずに、遥かアメリカのバックカントリーにひとりでやってきた。
山中での単独キャンプは国内の山で何度も経験しているから、そのような拒絶反応はなかった。が、号フいった経験さえもがなんの役にもたたないほどの恐怖心が、突如むくむくとわき起こってきてしまったのだ。
そう、日本にだっているクマなのだが、ましてや北海道にはヒグマだっているのに、これほど身近にクマの存在を意識したことはなかった。
アメリカでは、オーバーナイト(泊まりがけ)でウィルダネスに入る場合、かならずウィルダネスパーミットを取得しなければならない。その際、レンジャーからクマの密度の高いエリアやクマに遭遇した場合の対処のしかたなどの注意事項を、いろいろと説明される。そういうこともあってか、クマの存在がリアリティーをもってのしかかってきたのだった。
ウィルダネスの洗礼
目が冴えたまま3時間ほど経過したころ、突然、遠くのテントから怒鳴り声が聞こえてきた。
「Go away,go away!」
だれかが必死に叫んでいる。何度も何度も叫びながら、ガチヤガチヤと食器を鳴らしている。
クマが出たのだ。叫び、金属音を鳴らせ、とはレンジャーが教えてくれた、最も効果的なクマ撃退法なのだった。
怒鳴り声は、次に隣のテントから起こった。ぼくのテントからは、わずか20メートルほどの距離だ。すでに、ぼくは生きた心地がしていない。心臓がバックパックと波打ち、飛び出しそフだ。クマとぼくとを隔てる壁は、わずか一枚のベラベラしたテントの布地だけ。と、黒い影が、スーツと星明かりに照らされたテントの脇を横切った。まざれもない、クマのシルエットだった。
「お釈迦様イエスキリスト様アラーの神様!」
枕元に置いてある食器も鳴らせずに、ただひたすら息をころして縮み上がっていた。
けっきょく、ことはそれだけだった。が、むろん、まんじりともしないで一夜を過ごした。一睡もできないまま夜が明けるのをひたすら待った。いっそのこと寝てしまえば、ずっと楽だのに過度の興奮状態で眠ることはできなかった。白々と夜が明けてきたときの安堵の気持ちは、生涯忘れることはできないだろう。
その後、なんどとなくウィルダネスでクマに遭遇した。なにかがいる気配で、そっとテントのジッパーを開けてみたら、なんと3メートルほどの距離からじっとこっちを眺めている子連れの母グマと目線が合ってしまったこともある。一瞬心臓が凍りついたが、できるだけなにげないふうを装いながら、そつとジッパーを閉めた。そして、つぶやいた。「Oh,sorry!」やっぱり大声は出せなかった。
なんど体験しても、恐怖心はぬぐい去ることはできない。が、あのときほどのショックは、もう2度とない。夜の恐怖心など、日々展開されるウィルダネスでの感動の体験の、ほんのちっぽけな代償なのだと思うようになった。そして今では、代償などではなく、漆黒の静寂の大自然のなかにたったひとり眠ることが、拭いがたい恐怖心をもふくめて、おおいなる快感にすらなってきている
インテリジェント・バックパッカー
「さて、ひとたび未知なるものへの恐れを克服してしまえば、ウィルダネスで眠ることに対する抵抗感は消え去り、本当の自由を獲得することができる。自由に山野を歩き、いかなるワイルドな地域に踏みこむこともいとわなくなる。日が昇り、日が沈む。その繰り返しの中で、さしたる困難も感じることなしに、大伽藍の静けさを原生の森の中に兄いだしっつ、歩き、眠る。あるいは心を捕らえて放さないピークに向かって一週間、悪戦苦闘の時を過ごす。
またワイルド・リバーの源流帯を探る夢を見るのも自由だ。釣るもよし、釣らずともよい。ときには広大な砂漠の渓谷を歩いて、夢幻の沈黙の中に長い月日を過ごすことも可能となる。それらはすべて自由をかちえた結果、把握することができた、まざれもない現実である」(『遊歩大全』)
あの晩の恐怖体験は、ほんもののウィルダネスへ入っていくための、あるいはフレッチャーが言うところの自由をかちえるための、ぼくの通過儀礼だったのである。
重いバックパックを背負って、無垢のウィルダネスをかみしめるように、一歩また一歩と歩を進める。一定のリズムを保って繰り返される呼吸。流れる汗。日に日に陽焼けしていく肌。肩と尻にずっしりと重いバックパック。そのきしむ音。苦痛。それらのことごとくが心地よく、日を重ねて歩くにつれて蓄積される疲労感までもが、やがては充実感となり、次第に力が蔽っていくのが、実感としてわかるようになる。そして、ゆっくりではあるが着実に歩むその一歩の積み重ねが、一日を終わって振り返ってみると驚くほどの距離を稼いでいることにも、無上の歓びを感じる。
ピークを目指すも目指さずも、歩くというごく原初的な移動行為自体が、あるいは目的地に向かラブロセス全体が楽しく、思わず知らずにほほえみが浮かんでしまう。
だから、アメリカのウィルダネスで会うバッークパッカーはみな、じつに明るくおおらかないい顔をしている。どれほどハードなトレイルであっても、ひたすら足許のみを見て、苦渋に充ちた表情で、ただやみくもに歩くバックパッカーに、ぼくはお目にかかったことはない。
だれもがにこやかに、懐かしそうに声をかけてくる。ときには立ち話をする。そこには、あの自信過剰ないやなアメリカの姿は微塵もない。旅人として見知らぬ街で出会う人々の、喜びや悲しみや苦しみなど、人生の匂いを感じさせる庶民的な味わいはないかもしれないけれど、代わりに知的でハイセンスな会話がそこにはある。バックパッカーはみな、多かれ少なかれインテリジェントなのである。
そうして、ウィルダネスを去るころには、何人もの友だちができてLもフ。それらすべての行為、あるいは思いは、しっかりと心と身体に染みつき、忘れがたいものとなる。まるで麻薬患者のように、山を下りた瞬間から、むしょうに山が恋しく懐かしく、すぐにでもまた舞いもどってしまいたいという、やむにやまれぬ衝動にかられてしまうのである。
1978年に今は亡き芦澤一洋さんの訳で翻訳出版されて以来、なんどとなく読み、感動し、夢を見させてくれた『遊歩大全』は、ぼく流のバックパッキングのスタイルを築き上げるための百科事典であり、バイブルだった。
歩くことの楽しさ、精神を解放することの心地よさを知ったのも、バックパッキングがハイキング、あるいはトレッキングという言葉で表される歩行行為とは一線を画して、それ自体が思想、哲学だということを教えてくれたのも、『遊歩大全』だった。
ある程度の経験を積んだ今でも、ウルダネスを歩くぼくの頭の片隅には、いつも『遊歩大全』がある。
ぼくがロングトレイルにこだわるのも、『遊歩大全』の影響からなのだと思う。日常の生活のなかで弛緩した肉体と精神が立ち直っていくプロセスを実感する歓びは、ロングトレイルでこそより効果的に得られるのだ。
どうやらぼくにとって、ウィルダネスの清澄な空気のなかで、自由気ままに歩くことが、最高の自己復活手段らしいのである。
(OUTDOOR 1999年1月号 加藤則芳)