父が釣った川に立って。日本のアウトドア&フライフィッシングの父を持って・・・

日本にフライフィッシングを伝え、本場のアウトドアの伝道師と呼ばれる芦澤一洋氏。
その娘の芦澤牧さんが書かれた父・芦澤一洋とのエピソードが綴られた記事があるので紹介します。
※以下は1999年に発行されたOUTDOOR誌より転載。

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なんとか親のアメリカ主義を逃れなくてはと、頭を悩ませた子供の頃

父に連れられて、三越美術館にアンドリュー・ワイエス展を見に行ったことがある。
初めて連れていってもらった美術館だった。
デッサンを含む全78点に及ぶ作品は、どれも繊細で美しく、けれど少しさみしそうに見えた。

「白っぽいんだね」

私の感想に、父は「ペンシルベニアだよ。石灰岩なんだ」と答え、たくさん旅をしなさい」と肩をたたいた。

あれから20年。私はイエローストーン国立公園内を流れるギボン川の岸辺に立ち、フライロッドを振っている。

ノリス・ガイザー・ベイスンのほど近く、石灰岩質の地形で湧き水が多く、ドライフライフィッシングを楽しむのに絶好といわれる場所だ。

平坦な草原帯とロッジボール桧の林の向こうにガイザーの湯煙がゆっくりと立ち上っていくのが見える。

午後3時。ライズはない。代わりに先ほどから降り始めた雨が、いくつもの小さなリングを川面に描いていた。

「ちょっと聞いていて」

そう言うと、父は長さ70cmほどの黒いホルンを吹いてみせた。

「エルクの泣き声だよ」

そう言われても、エルクという動物を知らないし、美しい鳴き声とも思えない。

何も答えない私を無視して、父は、うれしそうに何度もそれを吹いた。
その日、庭先にはたくさんの洋服やリュックサック、キャンプ用具が並べられていて、エルクコールはそのうちのひとつだった。

父は母と私に並べられている洋服を着せては写真を撮り、リュックサックを背負わせては写真を撮り、鍋を磨けだの寝袋をしまえだの命令した。

しばらく後、それが『バックパッキング入門』という本のための撤影だったことを知った。
1975年のことだ。

そのころと前後して、わが家にはたくさんのモノと人が集まるようになった。
やってくる人たちはたいてい口ひげを生やし、ジーンズにラグビーシャツやペンドルトンシャツを着ていて、毎晩アルコール抜きで大騒ぎをしていた。

今、思えば、アメリカで巻き起こったバックパッキング革命に敏感に反応した若きアウトドアズメンの集まりだったのだろう。

話の内容も、何をしているかもわからなかったけれど、とにかくみんな親切で楽しそうだった。

70年代の父は、新たに生まれたアメリカン・アウトドアの精神と用具に心底熱狂していて、食事からファッションから持ち物から、恥ずかしくなるくらい影響されていた。

そして当然子供にもそれを強要した。
だが、横並びが好きな子供にとって、それは苦痛でしかない。

冬場に着せられたダウンジヤケットは子供社会では「ゴリラ」と言われていじめの要因となり、「白湯かお茶だけ」としおりに書かれているのに、遠足に持っていく水筒にはゲータレードが入っていて、それを気づかれないように非常に苦労した。

私はなんとか親のアメリカ主義を逃れなくてはと頭を悩ませ、いつしかスカートとレースのブラウス以外着ない子になっていた。

そんな防御から来る反抗が解けたのは、私が20歳のとき。
あるテレビ番組がきっかけだった。

広大なメドウを緩やかに蛇行するヘンリーズフォーク川の流れの中で、父はマイク・ローソン氏とフライフィッシングを楽しんでいた。

「よし、引け」とマイク氏。

続いて「やったぜい!」と言う声が聞こえ、レインボーが、みごと父の掌中に納まった。次はフックを外しリリース…のはずが、父の手は上下に10cmほども震え、どうしてもフックを外すことができなかった。

中途半端なビジョンしか浮かばない自分の将来に、不安を抱いている時期でもあった。

テレビの映像を通して見た、興奮に震える手を持ったひとりのフィッシャーマンの存在を愛さずにはいられなかった。

心から大切だと思える世界を持って、年を重ねていく素敵さに感動せずにはいられなかった。

父の50回日の誕生日に、その気持ちをできるだけ素直に手紙につづった。

父はアメリカ仕込みの握手を私に求めた。

そのヘンリーズフォーク川の岸辺に、昨年の7月初めて立った。

それまで、この地を訪れること、いや知ることも意識的に避けてきた。
そこは父が見つけた世界だった。

けれど、私はこの川をずっと昔から知っていたのだろう。
懐かしさに似た安堵感が広がっていくのがわかった。
その一方で、生まれて初めて、流れる川の美しさを知った気もした。
イエローストーンの乾いた風に、体中の神経が刺激され、歓喜していた。

帰国後、旅の余韻を引きずって、『バックパッキング入門』を読み返した。

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