山と渓谷で連載した芦澤一洋のアウトドアものローグに寄せて

遊歩大全の翻訳、フライフィッシャー、アウトドアマンとして日本の先駆者だった芦澤一洋氏が、山と渓谷誌に連載して好評をえていたのが「アウトドアものローグ」だ。
今では読むこともできないが、どんなエッセイだったのか、その概要を知ることができる記事があるので紹介する。
※以下は1999年に発行されたOUTDOOR誌より転載。

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森の香りや風や雪のダシで調理した、独り言のような一皿料理のようなエッセイ

初代の「アウトドアものローグ」は芦澤一洋により『山と渓谷』誌上で1983年から2年間にわたって連載された。

強い愛着心でもつて厳選されたアウトドアの〝もの〟そのものをとり上げ、森の香りや風や雪のダシで調理した、まさに独り言のような一皿料理のエッセイだった。

アウトドアライフという外国製の遊ぴであるから、外国の新式野外用具が使われるのはあたりまえのことだ。
いや、彼は当初からアウトドアライフは遊びでもなく、スポーツでもないことを力説していた。

スポーツの用具を使い、肉体の鍛練を自己に課する場面があったとしても、求めるところは争いを知らない自己洞察の世界。シンパシー、共生を希求する心の世界だ、と。

とはいえ、アウトドアの外国用品にはおもしろいものが多く、それにひかれてアウトドア参り、というところ、なきにしもあらずだった。

それはときに小難しく展開される芦澤理論でも認めるところで、さきのブックブラザーでは「L.L.ビーン」などの初期カタログを購入、個人輸入に思い巡らせていたはずだ。

並行輸入などという言葉が一般的でなかった時代は商品を探すのは難儀な作業ゆえ、仕事でアメリカへ行くへような仲間の機会をつかまえ、強引に買い物を依頼するためにカタログに赤丸をつけたものだ。

ニューマーチン72フライリール12ドル89、ガルシア・ブラウン〝バックパッカー”ロッド5f15ドル99、アウターズ・ヒッコリー・スモーカー26ドル95、ヒマラヤンNO9バックパッカー37ドル95、リストロケット(パチンコ)2ドル95、etc.
そのチョイスを今見るとなんともほほえましく、こせばゆくなってくるのである。

芦澤式『アウトドア・ものローグ』は連載終了後に森林書房でまとめられ一冊になったけれど、1973年から5年間にわたって『山と渓谷』に連載された「表紙のことば」にも、すでに用具を通して自然を語り、関連書を紹介するスタイルは明確になっていた。

ここでは本職がまだわずかに働いていた。
表紙のデザイン処埋をやっており、それを補足する意味の「表紙のことば」を書いていたわけだ。

本来脇役の役割であったそれは、やがて主役顔に変貌、アウトドアライターとしての力がこれでもかというほどに発揮され始める。

73年12月号の表紙は、中央本線の鈍行でゆっくり山旅をしようとしている男がシートにいる。

一部抜粋~時の流れに逆行するような鈍行列車で山へ行こう。

しかし黒サージで高い所へ変ろうと気勢を上げ、山麓をぶらつくだけでは経済的に損と思うのは野暮。
ホームスパンの味を知らなければだめだ。という『登山とハイキング』(35年、菅沼達太郎)の意見を紹介しつつ、「ブリムの広いボルサリーノ、オフホワイトのカントリーシャツの上にラムウールのⅤネックスウユタt、カーフのジャケットとコーデュロイのスラックス、リブニットのタイをつけてアッシュの杖を持つ」と12月にレトロな山麓歩きスタイルを提唱するのある。

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