立山禅定道。現代の立山に、かつての信仰の道をたどる

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北アルプス北部に大きな根張りをもってそびえる立山は、大汝山(3015m)をその最高峰として、雄山(3003m)、浄土山(2831m)など2500mを越える山々からなる一大山群である。この山々をとりまく雪と岩の山岳美は、中部山岳の代表的な自然景観のひとつで、近年の開発により観光の山としても広く知られる。

造山運動によってつくられた南北に連なる頂稜の東側は、壮大な黒部の谷が深い峡谷をうがち、西側には第四紀の火山活動で生まれた弥陀ガ原の溶岩台地が、富山平野へ長い裾を広げている。
そして、はるかな時を超えていまも息づく立山信仰の道は、この西側、のびやかな弥陀ガ原をたどっていく、「地獄と極楽」をめぐる旅への道であった。

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「地獄と極楽」をめぐる旅への誘い

立山の山岳信仰は、修験道から寺社参詣、元服登拝から立山登山へと姿を変えながらも、古代から近代へと連綿と引き継がれてきた。

山野を駈けてして修行をつむ修騒道(立山修験)が、剣岳へのけわしいルートをとったのとは別に、江戸時代に盛んになった庶民の立山信仰のルートは、山麓の芦峅寺から、千手ガ原、美女平、弥陀ガ原、天狗平、室堂へとたどり、立山三山を登拝するものであった。

これを、立山禅定の道という。

人が立山に登り続ける理由

浄土と地獄をめぐるという仏教思似を色濃くみせた立山は、江戸時代には、富士山、白山とともに日本三霊山と称され、諸国遊覧を兼ねた参詣者が全国から訪れた。

その後、明治政府の廃仏毀釈政策によって、立山権現は、立山雄山神となり、また、近代化の波のなかで、信仰の火は途絶えたかにみえた。が、いまもなお、立山は、多くの人をひきつけてやまない。

開山1300年、絶えることなく、人びとが立山に登り続けてきた理由は何だろう。
かつての登拝路は、すでに一部途絶し、立山黒部アルペンルートの開通にともなって各所で分断されたが、近年、自然回帰の志向が見直されるなかで「歩くアルペンルート」として復活した。

いまなお、当時の道は不明な筒所もあるが
復活した現在の道に、六禅定の面影をたどりながら聖地立山が歩んできた独自の時間と空間にふれてみよう。

渡り禅定【千寿ガ原(藤橋)~美女平】俗界と訣別し、死を措す決断を試す。

立山里部アルペンルートの玄関日、千寿ガ原は、称名川が常願寺川に合流する地点である。その称名川右岸には、道元禅師の歌碑「立山の南無とからめし藤橋を 踏みはずすなよ弥陀の浄上へ」が建ち、六禅定の起点となった藤橋が架かる。

かつてここに、数条の藤蔓を編んだ橋が架けられていた。足を踏みはずせば、たちまち深い谷に落ちて絶命する。その覚悟をもって、人びとは立山禅定の最初の試練を乗り越えねばならなかった.。この藤橋を渡り、小金坂、草生坂、材木坂、美女杉坂と、つづら折の道を、美女平に向かった。

[コース概略]現在、藤橋からの旧道は、立山ケーブルカーの軌道によって分断されているが、軌迫沿いに「材木坂コース」として迫が整備されている。標高差約500m、急登が続く樹林借のなかの通である。登り約2時間、下り約1時間30分。
※上記の行程は古いものです。実際に歩かれる方は必ず最新の情報を確認してください。

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鎖禅定【美女平~ブナ平~弘法~追分~獅子ガ鼻平~天狗平~室堂】断崖絶壁を登攣し、体力と気力を試す

現在の美女平から室堂へと向かう道で、当時の登拝の雰囲気を色濃く残すのは、弥陀ガ原と天狗平を結ぶ道である。すでに亜高山帯であるこの周辺は、視界がひらけ、雲上の楽園といった風情であるが、途中に深く切れ落ちた谷が現われる。「一ノ谷」と「姥ガ懐」である。

一ノ谷の中央に、獅子ガ鼻岩と呼ばれる巨大な露岩がある。かつて、その垂直な岩壁に大小二条、雌雄一対の大鎖小鎖が吊り卜げてあり、修験者の行場となっていた。

そばには、修験道の開祖とされる役行者の石像が、自然の洞窟に安置されている。このあたりには、人ひとりが座禅を組めるような岩穴がいくつか点在しており、岩頭近くのコの字型にうがたれた開口部は、咆吼する獅子の姿に見える。

現在は、岩壁の横に階段が刻まれ、今様の細い鎖やロープが張られ、だれもが登攣できるようになって迫力はない。しかし、岩上から足ド100㍍ほどの谷底を眺めるスリルは、いまも昔も変わらない。人びとはここで、体力と気力を試されたのである。

このそそり立つ獅子ガ鼻岩の「陽」に対し、姥ガ懐にある姥石が女陰を想像させることから、この二本の道は、陰陽の道とも総称された。なお、姥石を訪ねる姥ガ懐道は、明治のころに途絶したままである。

一ノ谷迫も、長らく廃絶していたが、その歴史的価値が見直され、1980年よ、立山ガイド佐伯文蔵氏とその有志によって踏査され、復活した96年には、谷に続く道に本道が敷設された。

この道は現在、獅子ガ鼻の岩場から獅子ガ鼻平へと続き、鏡石平に出る。

[コース概略]美女平から室堂までは、立山火山の噴出物が形成した台地状になっている。美女平から室堂までは、アルペンルートのバスが50分で結ぶ。
しかし、この間も、舗装路をぬうようにして、立山登拝の面影を伝える道が復元されている。歩行距離にすると、全長約25キロとなるものの、5つの遊歩道に分けられているので、バスを利用しながら、部分的に歩いてみるのもよい。

鎖禅定の核心部である獅子ガ鼻岩は、弥陀ガ原の追分から、鏡石をへて、天狗平までの約8㌔のコース上にある。標高差約500㍍、約3時間の行程。

なお、美女平からブナ平、下ノ小平、弘法平までは、比較的平坦な原生林の道が続く。樹齢千年の立山杉を眺めたり、森林浴や野鳥観察が楽しめるところである。約4時間30分。
※上記の行程は古いものです。実際に歩かれる方は必ず最新の情報を確認してください。

地獄禅定【室堂~地獄谷】三界六道に輪廻転生する死者の霊を弔う

鏡石で合流する陰陽の道は、「六道の辻」(現在の室堂付近)に向かう。仏の教えでは、人間は、その生前の普悪によって、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天、この六種の迷界に転生するという。ここは、その地獄と極楽への入り口でもあった。

室菅からミクリが池とミドリが池の間をぬけて尾根を下れば、その名も地獄谷へ出る。『今昔物語集』に語られる立山地獄は、国中の罪人の多くが墜ちるところとされ、立山信仰を絵解きした立山曼荼羅図には、獄卒の責め苦にあう罪人の悲惨な姿が描かれている。

現在も、その道中には、油搾石や閻魔台といった地名が残る。地獄谷に降り立てば、亜硫酸ガスや硫化水素ガスなどの噴気音が響き、熱湯の湧出する池、有毒ガスにさらされた山肌など、荒涼とした風景が広がる。

当時の人びとは、ここで地獄の様租を実感し、霊魂の浮遊する異次元の冥界を体感したにちがいない。

[コース概略]この地は、現在も、登山道以外は立ち入り禁止となっている危険地帯。地獄めぐりのコースは、室堂バスターミナルから歩行的2時間。
※上記の行程は古いものです。実際に歩かれる方は必ず最新の情報を確認してください。

極楽禅定【室堂~浄土山~雄山~別山】人間の過去、現在、未来の三界をめぐる

地獄をめぐったあとは、いよいよ立山三山

をめぐる極楽禅定である。

立山三山とは、浄土山、雄山、別山をさすが、峰のひとつひとつに意味がある。浄土山では、過去を振り返り、雄山では現世のあるべき姿を知る。別山からは、未来の魂のゆく末を見るのであった。過去、現在、未来という三界の時空を一日でめぐることを「三山駆け、極楽禅定」という。

室堂とは、もともと、神官僧侶や修験者の寵堂や、社務所を兼ねた宿舎のことを意味していた。加賀藩の造営したものが現存しており、この建物は日本最古の山小屋として、国指定の重要文化財になっている。近くの崖には、立山開山縁起の聖地、玉殿岩屋がある。

室堂から、俄悔坂、祓堂といった、信仰の名残を残す場所をへて稜線に出るコースは、現在も登山道として磐備されているが、かつての登拝の道は、いくらか北にずれていたことが、近年発見された第33番目の観音石仏の位置からわかった。

稜線の鞍部に出ると、御光石がある。そこから右に行けば、浄土山で、二十五菩薩来迎の山とされた(雲海に乗る菩薩の姿が描かれている)。また、その山肌の表情から、釈迦涅槃の姿ともされる。

引き返して一ノ越に向かう。立山雄山の姿は、蓮華座に坐す阿弥陀如来の姿とされ、一ノ越はその膝組み、二ノ越はわき腹、三ノ越は肩、四ノ越は首、五ノ越は仏項、山頂は烏烏ひつの峰に見立てられた。

現在も、それぞれの山の越には、阿弥陀如来の石仏を祀る小祠があり、本峰には、96年、一三六年ぶりに建て替えられた雄山神社峰本社がある。

項稜をさらに進めば立山の最高峰、3015mの大汝山である。富士ノ折立は、不死の世界に降り立つ意味ともとれる。

真砂岳をへて別山に向かう。この別山から、立山禅定者は、真北にある剱岳を遥拝した。剣岳の上空には北極星があり、永遠不動の位置を占める北極星に、人間の魂の未来永劫の不滅を観想したものと思われる。

[コース概略]室堂バスターミナルから、一ノ越をへて浄土山までの登りは、歩行約1時間30分、標高差430㍍。さらに、立山三山の縦走は、歩行約3時間。
※上記の行程は古いものです。実際に歩かれる方は必ず最新の情報を確認してください。

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走り禅定【別山~雷鳥平】大走んリ小走りの急坂を無心の境地で駆ける

未来の時空にひとときを過ごしたあと、引き返して真砂岳の鞍部に祀られている不動明王の石仏のところから、いっきに逆さ落としに駆け下る。この坂道を行者走りともいい、無我無心の境地にたどりつくものだった。

この道はハイマツ帯のなかに細く続いていたが、現在は脇道となっているので、真砂岳から稜線に沿って下ることになる。

[コース概略]別山から稜線を真砂岳へもどり、富士ノ折立との鞍部から西山腹をへて大運谷を下る。歩行約1時間20分。

※上記の行程は古いものです。実際に歩かれる方は必ず最新の情報を確認してください。

石積禅定【雷鳥平~室堂】先祖の供養のために、功徳の石を積む

かつての行者走りの道は、やがて広大な河原に出た。賽の河原に見立てられた浄土沢(浄土川)である。ここには、六地蔵が安置されている。地蔵様は、お釈迦様が亡くなって56億7000万年の後に弥勒菩薩となって現われるまでのあいだ、大悲の心で衆生を導くとされる仏で、現世利益、死後の冥土、三途の河原に迷う赤や人びとに救いの手をさしのべるという。

石を積むとは、先祖の供養とともに、己の人生のひとコマを残すことでもあり、己もまた子孫代々から祖となることの象徴であろう。

[コース概略]雷鳥平から室堂へは約40分の登り。標高差140㍍。リンドウ池、血ノ池とめぐってミクリが池から室堂へいたる。

※上記の行程は古いものです。実際に歩かれる方は必ず最新の情報を確認してください。

この世からあの世への旅

地獄と浄土をたどる六禅定を完結させることが、人間を悟りの境地へと誘った。
いまなお多くの登山者、観光客が訪れる、立山。山全体に仕組まれた、壮大な構想に、ただ驚嘆するばかりである。この先人たちの知恵や伝統文化を封印することなく、その足どりをたどり、かつての立山登拝を肌で感じられたなら幸いである。

※この記事は雑誌 山と渓谷の10年ぐらい前のものを参考に記載されたものです。記事がかかれた当時と現在では異なる内容がありますのでご注意ください。
コース概略などは、かなり変更されている可能性があります。あくまでも参考程度にお願いします。

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