山に独りで登ると言うと、たいていの人は「独りで登って何が楽しいのだ?」とけげんな顔をします。
「誰とも話さずにモクモクと歩いて食事も独りでするんだろう?山がきれいでも伝える相手もいなくて寂しくない?もしものことがあったら助けてく
れる人が誰もいなくて危ないじゃないか」と。
確かに気心の知れた仲間と歩くグループハイキングは、楽しいものです。
でも山を降りた時に、何か物足りなさが残ります。
それはなぜでしょうか?
単独行には、グループハイキングにはない魅力がいっぱい
独り歩きをしたことのない人から見ると、独り歩きは危険で寂しげに映るのが一般的だと思います。
しかし、私の経験でも、独り歩きをしている人に話を聞いてみても、第三者が思うような感じはなく、「楽しいからやっている」という声が圧倒的に多いのです。
「楽しい」といっても妙に明るい楽しさではなく、言葉をかえて言えば、「魅力」といったほうが適切かもしれない
気楽、マイペースを守れる、自分を知るよい機会など、まず上げられるのがグループ登山にはない独り歩きの気楽さだろう。
◎社会人の山岳会では、制約が多くて息が詰まる。
独りだといつでも好きな時に行きたい山へ行けるからいい。
好きな時に休憩して、好きな時に歩き始めることができるのもいい。
誰からも制約を受けずに行動できる気楽さが一番の魅力!
◎写真を撮りたいと思った時、グループだと遠慮がいる。
独りだと誰に気兼ねすることなく、気楽にいつでもどこでも写真を撮れるのがいい。
◎自分の好きな場所でコーヒーを沸かして飲めるのが魅力
◎遠慮なく日だまりで昼寝をしたり、静かに俳句を詠んだりできる気楽さが魅力
など気楽であることの魅力は尽きません。
たとえばウグイスをはじめとする野鳥の声をひとつ聞いてもそうです。
鳴いたと思うと立ち止まって十分に堪能できます。
これが誰かと歩いていると、なかなか立ち止まることもままならず、観察力が鈍ることにもなります。
●独りで気楽に歩くことは、山の自然を深く味わうことにもつながる
グループハイキングと違って独りで歩くようになると、今まで気がつかなかった植生の分布状況や刻々と変わる雲の動きなどがおもしろいように見えてきて、歩くたびに驚かされることばかりです。
独り歩きの魅力は気楽さからくる自然の発見ばかりではないのです。登山者自身の発見にもつながります。
山を歩きながら自分と対話していると、自分を取り戻せた気になります。
特に室内で仕事をする人にとっては、気付きや癒しの効果があるようです。
独りで歩いていると、組織の中ではわからなかった自分が見え、いかに自分の力がちっぽけなものかということに気づくことになり、仕事に戻っても冷静に対処しようという気持ちになります。
独り歩きの魅力は、たしかに気楽さもあるがじっくり考えてみると、このように自分を発見できることのほうが大きいようです。
自然を独りで歩くことによって、その向こうには自分が見えてくるといってもいいような気がします。
現代は依存社会と言われ、誰もが誰かに依存して生きています。
それが適度ならいいのですが、過剰になっているところから、社会の歪が生まれて、いろいろな問題を起こしている要因になっているようです。
そんな時代にあって、独りの山歩きは、何かしら自分の行動に自信を持てる力強さを与えてくれるような感じがします。
各人各様に独り歩きの魅力は、言いつくせないほどです。
自分の歩き方をしっかりつかんでいることもさることながら、孤独癖のある人とかアウトローとかあるいは変人と思われがちだが、けっしてそうい
うことはなく、むしろ心がオープンな気さくな人が多い。
そして、いつもどこかで、山とは何か、自分とは何か、と模索しています。
独り歩きの人には、本物志向という言葉が似合います。