小野村割岳は、京都市左京区広河原の最北端にある。
この山は日本海に注ぎ込む由良川と、大阪湾に流れる桂川(大堰川)との分水嶺にあたるところ。
また京大演習林とも接しているので、伏状台杉と化したアシウスギの巨樹を何本も見ることができる山だ。
私はこの人里から離れた静かな山を、木々と対話をしながら歩くのが好きだ。
崖から垂れ下がる山神様のふんどし
京都市左京区京北町にある下之町バス停から、北へ村道を歩き始めよう。
最後の民家の前を通り過ぎると、舗装路から砂利道へとかわる。
車止めの柵を抜けてしばらく歩くと、右下にダムがあり、その上空をキョッキョッと鳴きながらヤマセミが横断していった。
あまり見ることができない珍しい鳥なので、なんとなく気分が高揚してくる。
「なんだかいいハイキングができそうだ」っていう予感。
周りの景観はというと、杉の植林地が続く沢沿いの平坦な道だ。
採石場のような作業場の入り口にかかる茶色の柵を通り抜けると、ダラダラと続く林道から解放されてやっと上り道になった。
ずっと続く同じ杉並木の風景に飽きてきたところだ。
小野村割岳へのハイキング道は、あたりは細い沢のせせらぎを除けば、不気味なぐらいに静かだ。
やがて植林された杉林のなかから、異形の台杉やケヤキ、イタヤカエデ、トチノキ、ブナなどの樹木の姿が垣間見えるようになる。
植林地は陰湿な雰囲気だけど、緑が明るくなり、なんだか森がざわめき、賑やかになってきたような印象。
上りの傾斜はだんだん急になり、目の前にまっすぐに流れ落ちる美しい滝が現れた。
ほぉ~、なんだか一枚の白い布を山の斜面に垂らしているように見えるぞ。山神様の褌だろうか?
側には上空に向けて、枝を大きく広げるトチノキの大木がある。
気持ちがいいぐらいまっすぐに立つ樹で、その姿にこちらも元気づけられる思いだ。よっし!がんがん歩くぞ。
プロレスラーのような筋肉に惚れ惚れ?
登山口のバス停から90分、林道の終点に到着した。
右手の木々の間に見える目印のテープに導かれながら、細い山道へと分け入る。
さらさらと流れる浅い沢を渡ると、険しい上り道が続く。
しかしこれまでの単調さから比べれば、楽しくてしようがない。
汗をかくのも壮快な気分だ。
大きな台杉も点在し、ねじれたものや他の樹と共生しているものなど樹々たちの迫力ある生の営みに圧倒されてしまう。
厳しい環境で生きるってのは必死ってことなんだ・・・と思う。
それから15分後に小野村割岳の山頂に到着。
少しガスがかかってきたが、とりあえず休憩にする。これで展望がよければ申し分ないが、残念ながらあまり良いとはいえない。
まぁ晴れていれば気分も違ったのかもしれないけれど・・・。
でも自然の静寂が心地良く、癒されるってかんじ。
小野村割岳の山頂には赤い小さな郵便受けがある。
なんだろうか?と中をのぞくと手帳が入っていた。
記念になんか書けということだろうか?誰が集めにくるんだろう?
さらにもう少し先に進もう。
途中に小振りの栗のイガがたくさん落ちている。そのそばをリスがササッと駆け抜けていった。
そうか、これはリスが食い散らかした後なのか。リス君よ、今年の栗の出来はどうだったの?
1本の台杉の巨木に出会った。
すでに無数の木に共生され、その根っこが地面まで垂れ下がっている。
それでも負けじと踏ん張っている姿は、無駄な抵抗の中で哀れにもみえるが感動してしまう。
2本目の台杉の巨樹は、太い幹がプロレスラーの筋肉のように盛り上がり、艶々と黒く光っている。
よく見ると幹が湿っているのだが、それが汗のようにみえる。
パワーみなぎるエネルギッシュな巨樹だ。
15分ほど先に進み、途中でミツバチの巣を迂回して911mのピークへ。
ここのシンボルである杉の巨樹は、本体は既に枯れている。
しかし別の木が共生し、その巨体を支えている。
別の木に乗っ取られたのか、自分の思いを若い木に託したのかわからないけど。
見ようによっては、数匹の大蛇に絡み取られた大男のように見える。
そういえばミケランジェロの彫刻にそんなものがあったなぁ。
声にならない叫びをあげ、身もだえる大男。
なんだか怖くなってきた・・・。
さて、これからひきかえそう。
ハイキングは家に帰り着くまでが、道なんだから。