日本の山の名前の由来や原点を探る

山の学習

なにげなく耳にしていたあの山の名前の由来を知りたい。
日本人の自然観、民俗、自然環境によって育まれた山名には、膨大な物語が隠されているといわれています。
私たちの山の世界を深く豊かに広げてくれる、その物語をのぞいてみよう。

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山の姿や地形を由来とする山

山の形から想像される事物を山名にした例は多い。
槍ガ岳、剣岳、剣ガ峰などはけわしい山容をそのままに、逆に平ガ岳や美ガ原、船伏山(岐阜)や荒船山(群馬・長野)は平らな姿を思わせる。

普通に考えると誰もがイメージするのは、山といえば三角形と思いがちだが、日本の山の形は実に多様である。
例えば、丸山は数の多い山名の第二位である。

烏帽子岳・兜山・甲山、笠ガ岳や鍬柄岳など、今は使われていない道具の山名など、武士や庶民の昔の生活を偲ばせるものがあります。

また、特殊な地形や植生からの山名も多い。
山項が湿原になっている山は、神の田という想像からつけられた田代・苗場などが多い。

賽の河原のような砂礫地のゴーロが五郎になった五郎山(長野)や黒部五郎岳・野口五郎岳は地形が由来の山名。

朝日連峰の天狗角力取山(てんぐすもうとりやま)は、地表の凍結と融解できる構造上の平坦な砂礫地を土俵に見立てたもので、天狗原山(新潟・長野)もある。槍ガ岳の東西南北の鎌尾根は、鎌の背のようなヤセ尾根の意味だが、鎌倉岳へ福島)は鎌と岩場を意味するクラの合成山名で、大倉山、黒倉両、笠舟山などいずれも岩場があることを意味する名前の山です。

青薙山(あおなぎやま)、黒薙山はザレ場(砂礫の急傾斜地)の薙がめだつ山です。

色を由来とする山は、雪に森、自然界の色を多彩に表現している

青薙、黒薙はザレ場の色からの名前。日光には赤薙山があります。

色で多いのは黒糸、黒岳、黒岩などの黒の山。
地域によって山の森は緑でなくて、黒と表現していることからそのまま名付けられています。

これと対照的なのは、雪でおおわれた白い山からの白山、白い岩がめだつ白岩山があります。白い岩が光ることからの南アルプスの光岳はその典型です。

一等三角点最高峰の赤石岳は、ラジオラリアという赤い岩からの山名。

北アルプスの赤牛岳は赤茶のザレの稜線からだが、同じ稜線にある水晶岳(黒岳)と対比して赤さが目立つ。

また、気象が元の霧ガ峰や霧島山は霧に包まれた頂を思わせる。

山の植生から由来する縞枯山や毛無山、若草山なども色を感じる山名です。

朝日連峰

伝承や民話から由来する山名

民話や伝承から名づけられた山には、その地域の摩訶不思議な物語を知ることにもなり、調べるのは楽しいものだ。

山名に登場する伝承の主人公で最も多いのは「天狗」。
ご存じのとおり、赤顔と長い鼻の姿は修験道の守護神だが、役行者だという説もあります。

天狗の棲む山が天狗山や天狗岳になり、頭に天狗のつく山だけでも日本全国に七十数山はあるという。

伝承でよく知られた山では、赤城山があります。
これはマタギのシカり(頭領)が代々伝える「山達根元之巻(やまだちこんげんのまき)」という巻き物にも記されています。
日光権現と赤城明神が戦場ガ原で戦ったとき、白鹿になった日光権現が負けそうになったので、マタギの先祖といわれる万治万三郎という弓の名手が、日光に味方し、大蛇になっていた赤城明神を矢で射たという。赤い血を流しながら大蛇が逃げた山が、赤き血の山、赤城山になったのだそうだ。

岩手の七時桐山には、継母にいじめられる子が毎日水汲みをさせられるのをかわいそうに思った神様が、一日に七回雨を降らせて、その子を助けた、という民話がある。これが山名の由来。

畏怖の念と素朴な祈りの信仰から生まれた山名

山岳信仰として、山は大いなるもの、農耕の惠みをもたらすものとして、敬われてきた。

有名な山名では、大山・御山・御岳や御嶽・神山。
さらに仏教が伝来し、修験道などの山岳密教が発展すると地蔵、観音、薬師などの仏の名の山が出現するようになりました。
各地には、様々な仏の山がありますが、民間信仰が盛んであった地蔵と観音の山が多くあります。

原始信仰から、五穀豊穣の山の神の里宮と、奥の院の置かれた山は多く、重い石両を山頂へ運び上げた先人の信仰心の厚さが想像されます。

大山

農耕に必要な水を神に祈ったのが雨乞山や両乞岳、とくに乾燥地域の瀬戸内沿岸には水の神、竜神を祀る竜王山が広く分布しています。

多い山名の第三位の愛宕山は、神道の火の霊、阿多古を祀った愛宕神社の置かれた火伏せ信仰の山。

残雪がもたらす雪形からの山名

残雪の形(白)や残雪のとけた形(黒)からの山名、は日本独特のものだという。

これらの雪形は天気予報のなかった時代に、山の雪が消えて現われる形を田起こしや田植えの時期の目安とし、農作業開始の大切な目印でした。

それゆえ山麓の人たちは、雪形にさまざまな事物を想像して山に名をつけてきました。

中央アルプスの島田娘は、五月中旬、島田を結った娘の黒い姿を残雪のなかに見ることができます。

有名なのは駒ヶ岳で、時々、駒ガ岳のある全国の市町村集まって、駒ヶ岳サミットを開いています。

白峰三山の農鳥岳は、鳥の姿が現われたら農作業開始のサインとなっている山名です。

北アルプスの蝶ガ岳は蝶、爺ガ岳は種蒔き爺さんの形からの名前。

現在火山活動中で登山禁止の岩手山は、別名巌鷲山(がんじゅうやま)といわれますが、五月上旬に山頂部に黒い鷲の姿が出現します。

山名論争で有名な白馬岳の由来は代掻き馬の代馬だといわれているが、現在では駅名も村名も「はくば」となっていることはよく知られています。

動物、植物名に由来する山

生きものの山名で、いちばん多いのは鳥のつく山。
自然の障壁としての山を軽々と越えてゆく鳥に憧憬の念を抱いた人々が、その名をつけたのではないかと思われています。

次に多かったのは馬と牛で、いずれも古くから運搬や労役に利用してきた動物だから。馬ノ髪山や牛首山・牛伏山は、山の形がその動物に似た形からだが、馬追山・牛斬山のように地域の生活風習からつけられた山名もあります。

熊ガ岳・熊ガ峰、鹿俣山・青鹿島など、熊と鹿のつく山が多いのは山の生きものの代表だから。

青鹿はカモシカのこと。200m以上の高度に限定した十二支の山でいちばん少なかったのは未で2山、次に少なかったのは子(鼠)の5山。

樹木では桧のつく山が圧倒的に多い。
これは江戸時代以前、庶民の灯りとして枚根油が利用されてきたためではないだろうか。古代から文化の中心で、人口が集中した西日本の禿山の原因は、松の伐採によるものだともいわれています。

樹木以外では笹や篠のつく山が多い。

花のつく山では花園山・花塚山などは、花が多いことが由来するが、花立山・花技山になると神仏に花を供えるという意味になります。

種名で多いのは桜・梅・萩のつく山で、菊のつく山は数山しかない。日本の国花は桜または菊だそうだが、山名では桜が圧倒的に多い。

位置関係からつけられた山名

防御にいい位置なので城を置いた城山が数の多い山名の第一位である。これに関連する物見山・遠見山・狼煙山と聞くと、山項の見晴らしのよさがイメージできます。

山の呼び名が集落によって違うこともあります。日向山がいい例で、反対側の日陰になるほうでは、吹き降ろす風が冷たく作物が育たなかったことから、貧乏山と呼ばれています。

主たる山に対しての位置からつけられた山名も多い。
奥穂高に対する前穂高、西穂高、北穂高の類いです。前と奥では前袈裟丸山、奥大日岳などが思い当たる。上・中・下をけた山も多い。

高さの順に上蒜山・中蒜山・下蒜山(岡山・鳥取)など、いずれも二次的な山名ですが、新旧になると同じ範疇とは思えない。たとえば祖母山と古祖母山(宮崎・大分)、霊山と古霊山(福島)、清澄山と元清澄山(千葉)などがある。十二支の方角が山名の山、たとえば辰巳山(福島)、卯辰山(石川)、寅巳山(栃木)などもあります。

あの山を越えればそこは別の国。境界として名付けられた山

狩猟を主としたそれまでの生活の舞台であった山が、農耕を行なうようになってからは、人間の障壁になってしまいました。

そして生活共同体が領地や国に拡大すると、その境界として山に名前がつけられました。三国山や三方境などの山名は、境界を意味するものとすぐわかりますが、鍵懸山(長野)や札立山(大阪・和歌山)もなにかしらの境である意味の山名だと考えられています。

ただし、境界はせいぜい三つまでで、八方山や八峰の八は「多い」の意味で境界の意味はありません。

「丸」「森」などが付く朝鮮語を由来とする山

「山」の字は、場合によってはヤマ・サン・センと読みますが、なぜでしょうか。

私たちが日常的に使用している漢字は、三千五百年前に中国で発明されておもに朝鮮半島を経由して日本に伝えられました。

「山」は地形をそのまま表現した象形文字で、これを考えた中国「漢」時代の人は「シァン」と発音した。現在でも台湾の最高峰を玉山(ユイシァン)と呼びます。

朝鮮半島では、この「シァン」を日本と同じく「サン」で聞き取ったから、韓国語の山も雪岳山・漢ら山で、日本語の大峰山、富士山などとまったく同じ発音です。

漢の次の「呉」時代には、音が少しずれて「セン」と発音された。
山陰地方の氷ノ山、大山は呉音の影響ということになります。

山(ヤマ)の発音は原日本語だと思われますが、ビルマ語でも山はYomaで、Arakan Yoma(山脈)、Pegu Yoma(山脈)と表記されています。もしかすると原日本語がこのような南方系要素をもっている可能性もあります。

山の接尾を表わす丸・牟礼・森・室は朝鮮語の影響だと思われています。

『日本書紀』は朝鮮の山をムレ・ムロと読み、スサノオの命は高天原から新羅の「曽尸茂梨(そしもり)」に降りたと書いている。

これらの接尾のモリ・モロ・ムレを固有名詞と考えて、花牟礼山、熊牟礼山、三諸山と山をつけて重箱式にするのが日本側表示の特徴だ。丹沢の大群山が大室山と表記されるのは音がムレからムロに変化して漢字を当てたせいです。

古代朝鮮では山をモリと呼んだ。
このモリは日本に波及して、平地の森になる。と同時に、日・朝共通の祖霊は山に鎮まるという信仰形態、つまり、モリノヤマ信仰の影響から、現在でも東北地方では山をモリと呼び、全国に墓場をモリと呼ぶ傾向が強く残っています。
韓国山岳会歌は、「山峰登ろう(サンマルオルジャ)」で、山峰をマルと呼んでいるが、屋根の棟もマルと呼ばれる。
これは日本側における丹沢、大菩薩山地に多い、△△ノ丸に受け継がれている。

漢字の丸を当てるから形容の 「丸い」に誤解されるが、「マル」は朝鮮語の山・峰のことである。

△△ノ丸山の表現は、「丸い」という形容詞が接尾につくのはおかしいとの錯覚からこのような表現にされた。

朝鮮語で山を表現する「棟・旨・宗」の文字がマルと発音され、同じ漢字が日本ではムネと発音されるのには意味がある。

上古代朝鮮語の山嶺の原義である「マラ」が、日朝の国境を越えてマル・モリ・ムネ・ムレに変化する一過程だ。たとえば屋根ムネ(棟)は山嶺の一表現だから、峰と同じである。山岳名称というより、日本語と朝鮮語は文法的にも語順が同じで、世界でもっとも近い関係にある言語だということを忘れてはいけない。

アイヌの先人が残した大地への遺産。誇るべきアイヌ語の山

アイヌ民族は川に生きる人びとであった。
峠を越えて交易したり、山奥に分け入ってヒグマやシカを狩ることはあっても、最も重要な通り道はつねに川であり沢であった。
それで、川や沢にはおびただしいアイヌ語の地名が残されている。

日本語でも河口とか沢の源頭という言い方があって、山から海まで、とぎれることなくつながっている川という一本の水脈を人間の体のように見なしているが、アイヌの人たちの考えでは、川はつねに下から上へたどっていくもので、山頂というのは、たんにそうして川を遡っていったときの終点でしかなかったようである。

だから、山の最高点に名前がつけられているということはほとんどない。

支笏湖のそばにそびえる恵庭岳のように、どこから見てもとがった山項がめだつ火山だと、エ・エン・イワ(頭が尖っている山)と呼ばれるか、そういう特徴的な地形がない場合には、その山頂に至る川や沢の名前が、そのまま山の名前にされてしまっている例が多い。

されてしまっている、というのはアイヌの人びとがそうしたというわけではなくて、松浦武四郎や、初めて北海道の山々で登山をした人たちが、ガイドを務めたアイヌの人たちから聞き出した川の地名を、山頂にあててしまったのである。

だから、トッタベツ、ヤオロマップ、トムラウシなど北海道の多くの山名は川にちなんでいる。

アイヌの人たちは、むしろ山全体に名前をつけていた。

山はアイヌ語ではシりである。日高山脈の最高峰は大きな山(ポロ・シリ)であり、島全体が山になっている利尻は(リイ・シリ 高い山)であったらけわしそうな山となだらかな山が並んでいれば、前者を男山(ビンネ・シリ)、後者を女山(マチネ・シリ)と対照させて呼ぶこともあった。

山を表わすもうひとつのアイヌ語はヌプリで、ニセコアン・ヌプリは峡谷にある川の上にそびえる山というような意味である。

オムシャ・ヌプリ(双子山)、イワオ・ヌプリ(硫黄山)という山名もある。日本語では、クナシリ(国後)島の最高峰は爺爺岳と呼ばれているが、もともとはチヤチヤ・ヌプリである。

山全体がひとつの巨大な山塊や山脈として認識されていた例としては、ヌタブ・カウシぺ (ヌタクカムシユぺ)とよばれた大雪山、シりエ・トクとよばれた知床半島の山々があげられよう。

※参考/山と渓谷

雪男
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