登山者が体験したほんとうにあった怖い話。登山道その他編

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山という非日常的な空間では、山小屋やテントの中だけではなく、覚醒しているはずの行動中にも、尋常でない体験をすることがあるようだ。また、単に偶然という言薬ではかたづけられない不思議な話も、少なからず耳にした。

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姿なき登山者

太田一郎さん(山岳ガイド)

今から30年くらい前、新雪が降り
始める11月。単独で巻機山へ行った。

久しぶりの山登りで、かなりパテてしまい、下山途中で、あたりはまっ暗になってしまった。清水の登山口に向かって下山していると、後ろから男性グループが追いついてきた。数人でしゃべっており、がやがやとうるさいくらいだった。

疲れて、へトへトだったので、先に下ってもらおうと、道を譲るためわきへ寄り、後ろを振り返ると、だれもいない。声も聞こえない。妙だなあとおもいながら、また下りはじめる。

すると再び、男たちの声が間こえる。今度こそ、と振り返っても、また声が聞こえず、姿もまったく見えず、ヘッドランプの明かりも見えないのだ。

そんなことを何回、繰り返しただろうか。気がつくと、登山口を過ぎて、民宿が見えはじめていた。風もない日だったので、風の音が、人の声に聞こえたわけではない。空耳とかたづけるのは、どうしても、納得できない出来事であった。

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山で遭難した死者からのサイン

島崎徹さん(カメラマン)

今から30年近い前、1日の谷川・一ノ倉沢の衝立岩の中央稜へ行った、山仲間のふたりが行方不明になった。はたして、上部までぬけたのか、途中で落ちたのか、わからぬまま、捜索したが、いっこうに見つからず、5日の連休を迎えるころになった。それでも、わたしたちは、毎週、谷川へ通って、彼らを捜していた。

その夜も、一ノ倉沢の出合近くにテントを張り、就寝前に、わたしは、用を足しに外に出た。

その途端、衝立スラブがパアッと青白く光った。ブロック雪崩でも起きたのかとおもいながら、食い入るようにスラブに見いっていると、しばらくして、ドーンという雪崩らしい音が聞こえた。

青白い光は、その後も、1分以上続いた。もしも雪崩で、岩と氷が摩擦を起こして光ったならば、1分以上という長い時間、光るはずはない。しかも、わたしだけでなく、周りでテントを張っていた何人もの人が見ており、「あれはなんだ?」といっていたのだ、

それから2カ月後の7日、衝立スラブの下のヒョングリの滝近くで、遺体が発見された。あの青白い光は、なんだったのか、今でも理解できないが、きっと遭難したふたりが、ここだ、ここだ、と知らせようとしたのだと、今でも、おもっている。

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配達されなかった山仲間の年賀状

渡邊利雄さん(埼玉県吉川市)

数年前の出来事である。山の会の代表を務める友人に宛てて書いたわたしの牛加H状が、「宛て先不明」で返通されてきた一宛て先は、被の勤める事務所である。

もちろん引っ越しの予定もなく、引っ越し通知もきていない。そのときは、配達人がまちがえただけだろうとおもっていた。

文面の概略は、「昨年は××山へ登り、××岳へ行ってフィナーレを迎えましたね。今年は、昨年と同じくらいで充分。よい年でなくてもいいでしょう」というものだった。

その数日後、彼がリーダーを務める正月山行パーティが、遭難したという知らせを受けた。中央アルプス・宝剣岳で、雪崩にまきこまれたという。わたしたち夫婦も、その山行に参加する予定であったのだが、山行予定日に用事があったため、結果的に、難を逃れることができた。

亡くなった彼は、わたしにとって、山の先生であると同時に、大切なザイルパートナーだった。彼がなにかを知らせようとしたのか.なにものかが、彼の不幸を知らせようとしたのだろうか。

正しいはずの住所に宛てた年質状が、返送されてきたばかりでなく、自分が記したいくつかの言葉が、被の不運を暗示するキーワードのようにも感じられた。

わたしは、いまだにその年賀状を捨てることができず、大切に保管している。

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※掲載している記事と画像は関係ありません。
※参考/山と渓谷

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