世界最高峰のエベレスト登頂を目指し、アタックしていた途中で口にしていたものがある。干し柿だ。
もう38年前の話だが、それは生まれ故郷、福島の懐かしの味であり、自然の甘さが疲れを癒やし、偉業を果たす力になった。
●おやつ代わりに干し柿を!
エベレストを含む世界7大陸の最高峰の頂を極めたママさん登山家は、今も山で小腹がすくと、おやつ代わりに干し柿をかじる。
出身は福島県三春町。
秋が深まると毎年、近くの母の実家から柿がリヤカーにどっさり積まれ、運ばれてきた。福島は全国有数の柿の産地。小学生時代、干し柿づくりは恒例行事だった。
「さあ残業よ」。
夕食の後片付けが済み、母の一言を合図に、こたつに集合。
母と兄嫁がむいた柿のへたに縄をくくりつけ、ぶらさげるのが仕事だった。雑談しながらの楽しいひと時でもあった。
「一度、生で食べたら、渋かった」。
渋柿と知らなかったからだが、それが2週間ほど外に干すと、なぜ甘くなるのか。不思議でたまらなかった。友人の家に遊びに行ってもよく出てきた。おやつの定番でもあった。
エベレスト登頂を果たす過程でも、干し柿の自然の甘味に支えられた気がする。
おやつ代わりに口にすると、田舎の懐かしいにおいがし、疲れた体がすーっと癒やされていくのが分かった。
そのときの干し柿には実は苦い思い出がある。
いそいそと荷物から取り出すと、カビがはえていたのだ。
船便で日本から送った荷物の中に入れておいた。カビをそぎ落とし、仲間にもおすそわけしたため、口にできたのはごくわずかだったのを覚えている。
干し柿は今も山に持参する。
持っていく方法はさまざまな工夫をこらし、ずいぶん進化した。
海外遠征でもカビをはやす失敗は無くなった。
運ぶ直前まで冷凍するようにしたのはエベレスト登頂から約20年後。「家庭用冷蔵庫が進歩したおかげ」だ。
冷凍する前に焼酎を干し柿にふりかけるようになったのは、母の知恵がヒントになった。
自宅で梅干しを漬ける際、母は塩分を控えめにしていた分、日持ちさせるため焼酎を振りかけていた。
その小技を後日、教えられ、干し柿に応用したら冬山でもふっくらとおいしく食べられた。
最終進化形は干し柿を一口サイズにし、塩漬けした大葉に包み持参する方法。同郷の山の仲間に教えてもらった。
大葉は黒っぽくなり、見た目は悪いが、こうすると風味も増し、食べるとき、手がべたつくこともない。
母が他界してからは地元の友人が干し柿を送ってくれる。
干し柿好きが知られるようになり、各地から送られてくることも増えた。
おかげでいろいろな干し柿を味わえるようにもなった。
●エベレストでの悔しい思いは、しっかりと今に生きている
山に登るようになって、遠征時とそうでないときの食事内容にメリハリをつけるようになった。
標高が低い山では現地で調達した野菜や肉を調理することが可能だが、標高が高いとそうはいかない。
お湯を注ぐだけで簡単に食べられるレトルト食品などがどうしても中心になる。
だから普段はレトルト食品には手をつけない。
外食もなるべく控えている。その分、自宅で旬の野菜を中心とした献立づくりを心がける。
山では口にしにくい果物もよくとるようにし、朝はリンゴとニンジン、それにショウガとレモンをたっぷりしぼったジュースを欠かさない。
●「台所に立つときはいつも『段取り』を意識してきた」
自宅の冷蔵庫の中にある材料と、新たに買うべきものを思い浮かべ、それらを組み合わせて先々までの献立を考え、2人の子どもを育ててきた。培った「段取り力」は山登りでも存分に発揮する。
かつては大食いで「多食胃(たべい)」と呼ばれたこともある。
80歳の史上最高齢でエベレスト登頂に成功した冒険家、三浦雄一郎さんとは二十数年来の付き合い。
息子が小学生時代、三浦さんにスキーを習ったのがきっかけだ。
北海道・手稲のスキー場でハンバーグなどをおいしそうに食べる姿を見て「お互い何でも食べますね」と盛り上がったのも懐かしい思い出だ。
三浦さんのエベレスト登頂成功については「とにかく『すごい』の一言に尽きる。
素晴らしい気力を持つ三浦さんだからこそ、なし得た快挙」と祝福する。
登山活動を始めたのは社会人になってから。
それでもこれまでに60カ国以上の最高峰・最高地点の登頂を果たしてきた。今も年3、4回は海外遠征に出かける。
遠征は短いときで10日間、長いと1カ月前後に及ぶ。
「仲間の分も干し柿を用意するため、登山中、口にできるのは3回くらい。
だから、大事に食べる」とか。元祖“山ガール”のひそかな楽しみでもある。
※ (たべい・じゅんこ)登山家。1939年福島県生まれ。昭和女子大卒業後、社会人の山岳会に入り、登山活動を開始。75年に女性で初めてエベレスト登頂に成功、92年には女性では世界初の7大陸最高峰登頂を達成した。著書に「山の単語帳」など。
※2013年5月 日経プラスワンより