都会の喧魔を離れ、静かな山小屋で過ごすとき、風の音、風で木々が揺れる音、または屋根東で走り回るネズミの足音が、人の足音、話し声に聞こえてくることがあります。
山に入って、精神的に緊張したり、肉体的に疲れたせいもあるだろうが、合埋的な説明のつけにくい不思議な体験談を誰もが一度は経験しているのかもしれない。
山小屋で体験した「金縛り」の真相
嶋田学さん(東京都渋谷区)
今から20年ほど前、わたしが高校山岳部時代に経験した話である。
11月下旬、わたしたち里見山岳部パーティは日光連山を縦走していた。
初日はみごとな秋晴れ。しかし2日目に天候は急変し、山は激しい風雪に見舞われた。何度もルートを見失ったわたしたちは、予定の時間を大幅にオーバーして、日没後にようやくめざす避難小屋にたどりついた。
この日は、さすがにみんな疲れていたので、夕食後、早々とシュラフにもぐりこんだ。外は、ゴウゴウという風の音と、小屋のトタン屋根がたてる音がうるさかったが、わたしはいつしか眠りに落ちた。
翌朝、目覚めてみると無風快晴。予定では、もうひとつピークを踏むつもりだったが、前日の疲れを考えて、下山することとし、のんびりと、ラーメンを作った。昨日の苦労も、今では笑い話となり、いつものように楽しい朝食が始まった。
しかしそのなかでひとり浮かない顔をしているメンバーがいた。Iさんである。聞いてみると、昨夜、金縛りにあい、あまりにもリアルで、いまだに気味がわるいとのことだった。
くわしく開いてみると、深夜、なにかの気配を感じて目がさめると、体が金縛りになっていたという。
そして気がつくと、足もとのほうからゆっくりと、なにものかはわからないが、あきらかに人の気配が近づいてくるのが感じられたそうだ。
のしかかってくるような重み、目の前に顔があって、いまにも息がかかりそうな気配を感じながら、実際に日に見えるのは煤で汚れた天井だけ。隣の仲間を呼ぼうにも、声を出すこともできず、明るくなるまで延々と苦しみぬいたとのことだった。
「そりゃ疲れのせいだよ」こう言われて、Iさんの「金縛り体験」は、みんなに軽く笑いとばされた。
パッキングをすませ、小屋を出ようとしたとき、仲間のひとりが、ドアの裏側に書かれた落書きのようなものを発見した。そこには、前の年に起きた遭難の話が記されていた。
それによると、前年、冬、この小屋で、単独登山者が体調を崩して、助けを待ちながら、肺炎をこじらせて亡くなったということだった。そして、最後には、遺体発見当時の状況が、図入りでくわしく書かれていた。それを見た瞬間、みんなの背筋に冷たいものが走った。
遺体が発見された場所というのは、昨夜、Iさんが寝ていた、まさにそ
場所だったのである。
山小屋に閉じ込められた真夜中の侵入者
高橋優子さん(東京都多摩市)
クライマーのMさんは、昔から霊感が強いことで有名でした。そんな彼といっしょに、ある年の5月未、北アルプスに取材に行くことになりました。メンバーはわたしとMさんのほか、カメラマンのKさん、先輩のHさんの4人。山小屋に泊まり、登山技術の撮影をする計画です。
宿泊客は少なく、わたしたちは、個室に泊まることになりました。
翌朝、Mさんが起きぬけにひと言。
「ゆうべ、だれかが部屋に入ってきたんだよ。ほら、ドアが少し開いているたろ」
昨夜は、だれも外に出ていった覚えはありません。そこで、Hさんが提案をしました。
「今晩、だれも入れないようにドアを封印してみようよ」小屋のドアは、手前に引くタイプだったので、ドアの前に椅子を並べ、開けられないようにして寝ました。
その夜、わたしはガチヤガチヤという音と、だれかの叫び声で日が覚めました。カメラマンのKさんが、アルミサッシの窓枠にしがみつきながら、「開かないんだ。開かないんだよ」と叫んでいるのです。
「まったく、寝ぼけちゃって。トイレはあっちだよ」と、Hさんが窓から彼を引き離し、連れていこうとしますが、なおも執拗に窓にしがみついています。ロックも外さずに、力ずくで開けようとする彼の姿に、ただならぬものを感じました。
Hさんが窓を開けて、外にはなにもないことを見せると、彼はなにごともなかったように寝てしまいました。
翌朝、ドアの前に置いた椅子はそのままで、だれも入ってきた形跡はありませんでした。昨夜のことを、Kさんにたずねてみると、まったく憶えていないと言うのです。でも、寝ぼけていたにしては変だったよね、などと話していると、それまでずっと黙っていたMさんがいいました。
「出口をふさがれてしまったから、きっと人の力を借りて外に出ようとしたんだろうね」
小屋の中の白い雲は、彷徨う遭難者たちの霊か
寺崎雄一さん(千葉県柏市)
約35年前の9月、中央アルプスのとある山小屋は、シーズン期間の営業を終えて、40人は泊まれるまれる大部屋が開放されていた。広すぎて、不気味なほどだったので、整頓された台所で寝ることにした。その日、小屋にいたのは、わたしと、パートナーのふたりだけだった。
中央アルプス主脈縦走の最終日で、疲れもあり、早早に床についた。
それからどれくらいたったのだろう。ふとした気配に日を聞くと、頭の上からなにかが、わたしを見下ろしている。
あっ、とおもったが、声が出ない。起き上がろうとしたが、体も動かない。金縛りである。わたしを見下ろしているものは、だんだん顔の上にのしかかるように、近づいてきたかそれは、薄明りのなかでは、明瞭な形をなさない、ふわふわとした雲のようなものだった。
それが、わたしの顔の上におおいかぶさった途端、大きな声が出て、すべての呪縛がとけた。
パートナーもびっくりして、悲鳴をあげたが、わたしの意識はしっかりしていた。l
「なんでもない、寝言だよ」と安心させたものの、わたしは一睡もできずに、夜明けを迎えた。明るくなってから、昨夜、囲めたはずの小屋のドアが、開いていることに気づいた。
かなり昔の話だが、この近くで暴風雨による遭難があり、多数の子どもをふくむ登山者が亡くなっている。彼らの霊が、いまだに成仏できずに、わたしになにかを訴えたのであろうか。
見えない小屋の主
上西政晴さん(山岳ガイド)
約30年前の南アルプスの小さな山小屋の話である。2日に入り、厳冬期をむかえ、小屋は、営業も終了し、開放されていた。入山初日にその小屋に泊まり、そこからふたつの山を往復した後、再び、下山前、その小屋で夜を過ごすことになった。
いくつも並んだ部屋の畳は、すべて上げられており、わたしは、六畳部屋の一角に畳を一枚敷いて、寝場所をつくった。近日の疲れから、夜は、よく眠ることができ、日がさめると、すっかり明るくなっていた。
用を足すために外へ出ようと、登山靴をはこうとしたわたしは、ギクリとした。
登山靴の横に、そろえたように、下駄が並んでいたのであるl
下駄箱には、小屋の下駄などが並んでいたが、わたしは、絶対、下駄を使っていない。昨日も、下駄はすべて、下駄箱におさまっていたのだ。だいいち、外は、雪で埋まっているので、下駄では歩けない。
むろん、小屋にはわたし以外、だれもいないへ小屋の外の雪上についた足跡も、わたし以外のものは見当たらなかった。
小屋を整頓して出発した後、だれかが見送っているような気がして、わたしは何度も、当に埋もれた小屋を振り返ってみたが、だれがいるわけでもなく、小さな小屋が見えるだけであった。
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