モンベルの活動は山岳だけではありません。
辰野勇氏は川を下るカヤックにも挑戦をはじめ、それにともなって積極的にカヤック用の商品開発を進めていきました。
なぜ、辰野氏は山から遠ざかるようにカヤックの世界へと導かれていったのでしょうか。
●モンベル創業の年にカヤックを始め、急流を下るスリルに夢中になる
1970年代になると、主な世界の未踏峰はほとんど登りつくされ、辰野氏は山へのロマンが少し薄らいできていったそうです。
しかも大勢の仲間が山で亡くなり、自分もいずれ命を落とすような予感があったとか。
そんな時、商社の先輩からカヤックに誘われます。
初めて琵琶湖から流れる瀬田川で初めてパドルをこぐと、水面から眺める景色と流れを下る爽快さにとりこになりました。
そして、第一線を退いた登山家で、カヤックを始める人が多かったのも夢中になった理由かもしれません。
アメリカのザ・ノース・フェース創業者のダグ・トンプキンス氏や、アメリカのパタゴニア創業者のイヴォン・シュイナード氏とも一緒に楽しむようになりました。
驚いたのは彼らはカヤックで通る川の下見をせず、一気に激流に飛び込むのです。
●カヤック熱が高まり、ついに黒部の急流下りへ挑戦
辰野氏は夢中になると、もう止まりません。
カヤックを始めた年の夏に、関西のカヤックの大会で、なんとビギナーズラックで優勝してしまいました。
これをきっかけに、毎週のように滋賀県琵琶湖の南に注ぐ瀬田川に通って練習したそうです。
カヤックは、登山や岩登りと似た要素があります。
岩を避けて、コースを選んでこぐ集中力と持続力、瞬時の判断と決断力が求められます。
そして、87年から4年かけて、国内で最も急峻な峡谷を流れる黒部川を下りることに挑戦すると決意します。
87年9月、モンベルの社員を中心に、7人の有志がヘリコプターで黒部川の源流部に降り立ちました。
川の流れは、しばらくは勾配がゆるやかですが、やがて滝が連続し、2~3メートルの落ち込みを次々と飛び越えていきます。
度重なる乗り降りや、重いカヤックを引きずるため、体力と神経の消耗が想像以上に大きい。
夕刻に適当な河原を見つけて、岩の隙間で1泊し、翌日に再び下ります。
ところが秋の峡谷の日は短く、日のあるうちに予定のポイントまで進もうとすると、無我夢中でパドルをこがなければなりません。
黒部ダムに着いた時は、自分の手が分からないくらい真っ暗だったそうです。
翌年は黒部ダム下流から再開。
下り始めて、すぐに1艇が転覆。
艇から離れた彼は流木に張り付いたままです。
激流が襲いかかり、水中に引きずり込まれる寸前でした。
ロープで救出しましたが、出発早々の出来事に、全員のショックは大きかった。
その後も仲間のカヤックが次々と転覆します。
絶え間ない激流と、緊張の連続で、とうとう2人がギブアップしました。
その翌年には、辰野氏は高さ15メートルの滝に挑みました。
滝の落ち口にカヤックを浮かべ、「死ぬかもしれない」「いや大丈夫」という葛藤を繰り返します。
ところがパドルをこいだ瞬間に、成功のイメージしか浮かばなかったといいます。
滝の落ち口から飛び込むと、艇を左に傾け、パドルで右の岩を押さえてバランスをとる。
恐らく2~3秒の出来事です。
滝つぼに飛び込んだカヤックは、5メートルは潜り、水面に浮上するとパドルが3つに折れ、仲間がロープで辰野氏を助けました。
その時、水中から見上げた空の色は、やたらと青く鮮明だったとか。
さらに翌年、ついに日本海までこぎ下りました。
この時、辰野氏は42歳。
命懸けの冒険は、これで最後にしようと決めた瞬間でした。
※辰野勇(たつの・いさむ)1966年大阪府立和泉高校卒。高校時代に読んだ本に感銘を受けて登山家を志す。69年に当時世界最年少でアイガー北壁の登はんに成功。登山用品店などを経て、75年モンベル設立。大阪府出身。
※参考/日本経済新聞






