「天下分け目の大決戦」の舞台を見下ろす、京都西山の天王山に登る

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本能寺の変の後、明智光秀と羽柴秀吉が戦った「天下分け目の山崎合戦」と伝えられている天王山は大山崎町の西にあります。
山名の由来は、この山の中腹にある酒解神社に牛頭天王を祀ったことから天王山となったという説があります。
山崎合戦の歴史的な場所だけあって、道標、説明板も多く、それらを楽しみながら登るとよい。
道は広くて迷う心配もないが、天王山の頂上近くで、分岐がいくつもあるので注意が必要。
展望台にはベンチとテーブルもあります。
京都西山でも南に位置する天王山は、冬期の積雪はあまりないので、防寒服を持参して登ればよい。

・歩行時間/約3時間30分
・歩行レベル/初心者向(登山は年間5回以内)
・標高/304m
・コース/JR山崎駅または阪急大山崎駅→宝積寺→天王山→十方山分岐点→十方山→十方山→楊谷寺→奥海印寺→阪急バスでJR長岡京駅または阪急長岡京駅へ
・地形図/2万5,000分の1淀・京都西南部
※この紹介記事は数年前の古いものです。現状とは道や近隣の状況がかなり異なる場合があります。内容は参考程度にとどめて実際に歩かれる方は、必ず最新の地図とガイドブックをご用意ください。

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山崎駅から閻魔大王を祀る宝寺を経て天王山へ(約1時間)

「京都自然二百選」に選ばれている天王山へは、JR山崎駅から線路沿いに北へ向かいます。阪急電鉄の山崎駅から向かう場合はJRの山崎駅に向かって歩きます。
JRの踏切を渡ると「天王山登り口」と刻まれた石柱と案内板があります。
近くには大山崎山荘美術館やサントリー山崎蒸留所があり、休日には多くの観光客で賑わいます。

急な舗装の坂道を登ると宝積寺(通称、宝寺)で、重文の金剛力士像がある仁王門をくぐると右手に三重塔があります。
この三重塔は一夜の塔と呼ばれ、秀吉が明智光秀を迎え撃つ際に一夜で建てたと言われています。

天王山へは本堂の右から続く道を登る。
大山崎山荘美術館を右に見ながら歩いて行くと正面に小さな堰堤が見え、その手前の沢を跨ぐと広い山道の登りとなります。

ジグザグの登りで展望台に着き、眼下に淀川が望めます。
このすぐ先で山崎聖天からの道と合流し旗立松に着きます。

戦国時代に羽柴秀吉が天王山に登り、松の樹上に軍旗を掲げ、羽柴軍が一気に明智軍を攻めたという。
ここにも展望台があって、山崎合戦陣形烏臓図があります。
眺めはとても良くて比叡山から大文字山、山科の音羽山、千頭岳が望めます。
近くには六角形のあずまやもあります。

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そして眼下に見る淀川周辺の地形は、戦国時代当時とは異なったことだろうと思う。
川も広かっただろうし、川岸も広かったと思われます。そんな当時を想像しながら天王山の麓を舞台に起きた「天下分け目の大決戦」を想像してみるといい。
実際の合戦は、天王山の東側の湿地帯で行われ、勝負を決したのは淀川沿いの戦いでした。

天正10年6月13日(新暦では1582年7月12日)申ノ刻(午後4時半頃)、天王山の東側に展開した明智勢が、羽柴(豊臣)秀吉方の先手、中川清秀、高山右近、羽柴秀長らの諸隊に攻めかかったが、戦いは明智光秀の思い通りには進まなかった。
天王山の東側には油座で知られる山崎の町があり、その東側には広い沼地が広がっていた。この地形が双方の行動を制約、精鋭を連ねた明智方の猛攻でも、羽柴方の先手を崩すことができなかった。
その間に、淀川沿いでは羽柴方の諸隊が進攻、円明寺川の東側にも上陸した。
羽柴秀吉が本陣の大部隊と共に天王山の東に出たのは、合戦がはじまって半刻(約1時間)ほど経った頃だ。
天下分け目の決戦は、日暮れた後に終わった。

酒解神社の烏居をくぐりしばらく登ると、左への分かれの道(この道は、またすぐに合流する)を入った所に「十七烈士の墓」があります。
やがて校倉造りの神輿庫(重文・鎌倉期)のある酒解神社。

酒解神社はこの地域ではいちばん古い神社です。
大山祇神を主祭神とし、素盞嗚尊を相殿に祀っており、橘氏の先祖神であると言われていますが、創建の由来は不明です。
しかし老元年(717年)建立の棟札があることから奈良時代の創建とみられています。
中世には、同社は山崎山(天王山)上に遷座し、山上の神はやがて天王社と呼ばれるようになり、山も天王山と呼ばれるようになっていきました。これが天王山という名称の由来だと言われています。

神社から5分ほどで「天王山0.1キロ、柳谷観音3.5キロ」の道標があって、左へ登ると山頂です。
このあたり一帯は天正10年(1582)6月12日の天王山合戦の古戦場で、秀吉によって築城された天王山城の礎石も残っています。
天王山の頂上は広場になっていて、気候の良い日はここでお弁当を広げるハイカーは多い。
ただし、周囲は木立に囲まれていて、展望は全くない。

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天王山から十方山、楊谷寺、奥海印寺へ

ヒノキと竹林の道が雑木林に変わり、天王山から訓分ほどの地点の右へ曲がる分岐で左の尾根に入り、3つほどコブを越えると十方山(304.4腕)です。

山頂はここも樹林で展望はない(この山頂から若山台経由で山崎駅へ行ける)、元の分岐に戻り、北へ行くとすぐに小倉神社への分岐点があります。
やがて尾根道から下りになり、しばらくして車道に出る。
浄土谷方面へ10mほど行った地点から柳谷観音へ越える山道に入る。
10分ほどで越えられ、府道柳谷線を左に登って行くと眼病に霊験があるという千手千眼観音を祀る楊谷寺(柳谷観音)です。
せっかくなのでお参りを済ませて府道柳谷線を戻ろう。

浄土谷への道との出合に弥勒十三仏の石仏を見てどんどん下ると、奥海印寺バス停に着きます。
ただし、1時間に1本しか便がないため、阪急長岡天神駅まで歩かざるをえないかも知れない。

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以上、「天下分け目の大決戦」の舞台を見下ろす、京都西山の天王山に登るのご案内でした。小さな冒険と大きな感動!これからも楽しい山歩きを続けてください。

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