バックパックで日本を旅する斉藤政喜(シェルパ斉藤)さん

私が斉藤政喜さんことシェルパ斉藤さんを知ったのは、雑誌『BE・PAL』に連載されていた東海自然歩道の旅を読んでからです。
ユニークなイラストと合わせて、人間味あふれる紀行文に、徒歩旅(バックパッキング)の面白さや、旅で得たものを文章化することへの興味をそそられたりしました。

それから私も触発されて、徒歩で琵琶湖を一周したり、真冬の鯖街道を歩いたり、大阪から伊勢まで歩いたりと、大きなザックに家財道具を詰め込んでえっちらおっちらと、旅をしてまわりました。

歩いて旅をしていると、一期一会の出会いがとても濃厚で忘れられないものになります。
車だったらただ通り過ぎるだけだし、電車であっても日帰りの観光になってしまうけど、その土地をゆっくりと汗をかきながら歩くことで、人は優しく語りかけてくれます。
人間ってなんて素晴らしいのだろうと、何度も感動したおぼえがあります。

そんなシェルパ斉藤さんが、1999年発行のOUTDOOR(現在廃刊)という雑誌に、日本をバックパックで旅する思いを書かれています。
徒歩で長距離を旅する面白さが、じわじわと心にしみ入ってくる文章です。
ここに転載させていただきます。

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日本を遊歩する楽しみ
斉藤政喜

遠い国のウィルダネスを歩くだけがバックパッキングじゃない。
日本には日本ならではのバックパッキングがあるはずだ。
号-で、止まることなく旅を続ける斉藤政喜さんに、日本を歩く楽しさをつづってもらった。
格好のバックパッキング・フィールドとしての日本がここにある。

山項に登ることを目的とする登山に対して、山麓や海辺、里など広範囲にわたって自由に歩く旅のスタイルは、バックパッキングやトレッキングと呼ばれている。日本語にすれば、歩く旅、あるいは遊歩になるだろう。

ぼくが初めてこのスタイルの旅を知ったのは、ネパールだった。
1987年秋、フリーランスのライターになったぼくは、仕事に行き詰まりを感じて日本を飛び出し、MTBでアジアを旅した。

これといった計画はないし、時間的な束縛もない、気ままな放浪の旅だ。

パキスタン、インドと風まかせにMTBを走らせ、ネパールに入ったところで、ぼくはMTBの旅から離れてトレッキングに出かけることにした。

ヒマラヤのトレッキングに強い問心があったわけではない。ネパールで出会った西欧人の旅行者たちが、なんの気負いもなくヒョイヒョイとトレッキングに出かける姿を見て、「だったらぼくも」と、気軽な気持ちでアンナプルナ方面に向かったのである。

そのトレッキングで、ぼくはすっかり魅せられてしまった。

天にそびえるヒマラヤの峰々や氷河、紺碧の空などの雄大な大自然も確かにすばらしかったが、それよりもトレールを歩くことそのものが楽しくてたまらなかったのだ。

自分の足で着実に前進している満足感があったし、それに出会う人々とのふれあいも新鮮だった。

それまでMTBで道路を走っていたぼくは、トラックや串からつねに迫害される立場にいたが、道路がないヒマラヤの奥地では仕事に出かける人も旅人も、だれもが歩かなくてはならない。その平等な感覚がとても痛快だった。また、道中に適度な間隔で点在する茶屋や宿泊所も〝歩く旅″を実感させた。

自由かつ開放的なヒマラヤのトレッキングは、登項しなくても麓をのんびり歩く、その過程でも満足できることをぼくに教えてくれたのだ。

こうして新しい旅を知ったぼくだったが、日本に帰ってからはバックパッキングの旅をする気が起きなかった。

あれは海外だからこそ体験できる旅だと思いこれでいたからである。

日本でザックを背負って歩くといえば、それは登山になると思っていた。日本百名山をいくつ登ったというような登項優先主義であり、山の装備はこうでなくてはならない、山をあまく見てはいけないというように、山を過剰に崇拝している雰囲気が感じられて、ぼくの性には合わなかった。

ぼくは翌年もネパールに出かけ、1カ月以上のトレッキングを満喫した。そして、バックパッキングの旅は日本には向いていないという思いは、よりいっそう強くなったーー。

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そんなぼくが、日本を歩いて旅することになったのは、最初のネパールの旅から2年後のことだった。

雑誌『BE・PAL』が創刊100号記念として、東京から大阪までの東海自然歩道を踏破する企画を立て、そのレポーターとして、金はないけど体力と時間はたっぷりあるぼくが選ばれたのだ(ちなみに『BE・PAL』編集部にぼくを推薦してくれたのは、本誌で「海を歩く」を連載している堀田貴之氏だ。当時ぼくは彼のアシスタントをしていたのである)。

東海自然歩道なんて存在すら知らなかったし、日本を歩くなんてかったるいと思ったが、安定した収入がないフリーランスのライターにとって、連載原稿はじつに魅惑的だった。

ネパール帰りだからと、「シェルパ斉藤」のペンネームをもらったぼくはライターとしての仕事なんだと割りきって、東海自然歩道1313kmを踏破する旅に出た。

ところが、歩き始めたらこれがおもしろかった。

アドレナリンが分泌するような興奮やドラマチックな展開はないけど、かめばかむほど味が出るスルメのように、日本の原風景を歩いて旅するのがじわじわと楽しいのである。

人間に親しみやすいほどほどの自然と、適度に便利な過疎化した山里。

それが東海自然歩道のトレッキングだった。平日の場合はルート上で出会う旅人がほとんどなく、トレールを独占して歩けたし、里に出ると、地元の人々とのつきあいが楽しめた。
 
「兄さん、どこから?まあ、とりあえずお茶でも飲んでいきなさい」といった感じで、あちこちで歓迎された。

歩いて旅する人が少ないし、それに彼らの目には、どんな風貌をしていようが、ザックを背負って歩く旅人=金がない学生だと映るようで、なにかと親切に接してくれるのだ(なんせあの野田知佑さんでさえ、斐戚のときにバックパッキングの旅をしたら「学生か?」と開かれたという)。

縁側でおばあちゃんから昔話を問かされたこともあったし、ザックに入りきらないほどの柿をもらったり、おにぎりを作ってもらったこともある。また道中で野良犬があとをつけてきて、そのままいっしょに一夜を過ごしたことだってある。

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