80歳の冒険心!三浦さん、楽しんで最高峰征服

プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんが、世界最高齢の80歳で3度目のエベレスト(8848メートル)登頂に成功した。若い頃から人が思いもつかない冒険を積み重ねてきた三浦さんだが、本人の中では、楽しくて楽しくて次々と遊び心が爆発しているのだという。
65歳になってメタボで入院。それを乗り越えて始めた70歳からの5年刻みのエベレスト挑戦は、「年齢」をテーマにしたユニークな新しい冒険であった

三浦雄一郎

●エベレスト、80歳最高齢登頂、三浦さん「世界最高の気分」、家族に電話、共に喜び

世界最高の気分――。

大けがから復活した80歳が、世界最高峰の頂点に3たび立った。

23日正午過ぎ、エベレスト(8848メートル)の登頂に世界最高齢で成功した冒険家の三浦雄一郎さん。

電話で連絡を受けた家族は喜びをともにし、ゆかりの人たちは衰えを見せない体力と強じんな精神力に感嘆の声を上げた。

東京・渋谷の三浦さんの事務所で待機していた長女、恵美里さん(52)らに電話で吉報が入ったのは23日午後0時20分ごろ。
「世界最高の気分です。80歳でまさか着けるとは」。
三浦さんの喜びの声が弾んだ。

現地の気温はマイナス15度。

体調を気遣う恵美里さんに「これ以上ないくらい疲れた」と言いつつも、「すばらしいヒマラヤの景色が眼下に見えます」と最高峰からの眺めをこう伝えた。

電話の横にいた三浦さんの妻、朋子さん(80)は夫について「夢の多い主人を持って幸か、不幸か。信じていることを誰が何と言おうとやる人。くじけたことも弱音をはいたこともない」と誇らしげに話した。

三浦さんと一緒に登頂した次男、豪太さん(43)の妻の加恵さん(40)は先月27日に生まれたばかりの長女を抱えて連絡を待った。

加恵さんが「どんな景色が見える?」と電話で尋ねると、豪太さんからは「世界中の景色が見えるよ」と興奮気味の声が返ってきた。

父親の再挑戦の可能性について聞かれた恵美里さんは「90歳、100歳とチャレンジするんだと思う」と話した。三浦さんの帰国は6月上旬の見込みだという。

「日本中に元気を与える快挙だ」。

ヒマラヤ山脈のチョー・オユー(8201メートル)などを三浦さんと登頂した国立登山研修所の専門職、東秀訓さん(53)は登頂成功をたたえた。

「三浦さんは年齢を重ねながらも、自分自身の身体や生き方をいかに進化させるかを考え続ける人」と喜んだ。

帰国後の三浦さんには「次はどこ、行きます?」と声をかけるつもりという。

「これからも挑戦を続けるはずだから」と話した。

01年から三浦さんの体力測定をしている鹿屋体育大学の山本正嘉教授(運動生理学)は「年齢や病気に関係なく、やればできることを証明した。おみそれしました」と喜びの声を上げた。

●エベレスト最高齢登頂、三浦さん、夢追い「若返る」、どん底から体改造

昭和7年生まれ。還暦の祝いの席で三浦さんは「3度目の20歳のつもり」とあいさつした。

一発、エベレストでも登ってやろうと思っていたのだが、やがて打ち消す要因が身を包み、夢は遠ざかった。それから20年、昨年10月12日に80歳の誕生日を迎えたとき「4度目の20歳のつもりで成し遂げたい」と3度目のエベレスト挑戦の抱負を語った。決意を新たにしてというところなのだろう。

三浦さんは60代に入り、自分の晩年を考えてみると、次第にキラキラしたものが薄れ、夢が消えていく寂しさを感じたという。

サラリーマンも同じではないか。60歳を過ぎて暴飲暴食のツケが回ってきた。プロスキーヤーと呼ばれるのがうっとうしくなり、冒険家という肩書が恥ずかしくなった。

完全な生活習慣病で入院を余儀なくされ、「このままでは長生きはできませんぞ」と医者から警告された。

父敬三は白寿(99歳)の記念にモンブランの氷河を滑走するトレーニングに励んでいた。次男の豪太は、モーグルの五輪選手で世界を飛び回る。この2人に挟まれ、自分だけがおなかをさすり肩で息をする惨めな肥満老人だった。

「おれは世界じゅうを駆け巡った冒険家のはずだろう」

このままでは70歳は迎えられない。死を見据えた上に、ここからが三浦さんらしいムチャクチャなところだが、「そうだ、エベレストに登ろう」と思いつく。

37歳の時にエベレストからスキーで世界の意表を突く大滑降を成功させたが、8000メートル上まで行き頂上はすぐそこだった。その6日後に、植村直己氏らがエベレスト日本人初登頂を成し遂げたのである。

自分の最後の最高の夢はエベレストの頂上」と夢を明確にした65歳、まずは自宅近くの藻岩山(531メートル)から登り始めた。

ところが息が続かず登れなかった。

三浦さんは「ものは考えようで500メートルの山も登れない僕が、このどん底から変身しながら、5年後にエベレストの頂上に立ったらこんなおもしろい話はないじゃないか」と山の人生を再スタートさせたのである。

冒険に「年齢」という新しいキーワードを持ち込んだ。

70歳から5年刻みで準備し、世界の最高峰に挑んできた。

衰えやすい年代でも高い目標を持ち、積極的にトレーニングすることによって一部の体力が落ちないどころか、その数値を「若返らせる」ことを証明してみせた。

ドキドキワクワクする目標を持てば人は何歳でも変わることができる」。三浦さんが身をもって示した。この分ならまだ夢の続きはありそうだ。

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●三浦さんエベレスト最高齢登頂、「抗加齢」の挑戦に希望

80歳で8848メートルのエベレスト頂上に到達するということはどういうことなのか。

そこは酸素濃度が平地の3分の1となり、人間の有酸素能力が低下して、80歳の三浦さんは150歳の体力年齢となることなのだと、三浦さんがこの12年間体力測定を続けている鹿児島・鹿屋体大の山本正嘉教授は語る。

この1月に三浦さんは、昨年11月以来、2度目(通算4度目)の不整脈治療を目的としたカテーテルアブレーション手術を行った。出発リミットぎりぎりの手術で、死ぬほどの苦しさとけだるさを味わったという。

しかし、3月8日に鹿屋体大で行った体力測定では80歳で骨密度が20代と測定され、また握力や背筋力も過去10年で最高の数値が出た。

鹿屋体大で測定した70歳の時の三浦さんの総合体力年齢は39・6歳。

65歳まではメタボリックシンドロームで、標高500メートルの藻岩山も登れなかった。それが一念発起し5年の準備期間を費やしてエベレストの山頂を極めたのだ。

今回は、特に09年のスキー事故で骨盤と大腿骨など4カ所を骨折する重症を負い、最初は地獄をさまよったという。まさに寝たきりの状態で、自らを「操り老人」などとちゃかしていたが、周囲の再起不能の心配もよそに手術をせずに、驚異的な快復力で半年でトレーニングを再開した。

「70歳の時は果たしてという気持ちであったが、75歳では不可能でもやればできるという気持ち、今回はいかに勇気、根性、やる気を沸き立たせ、夢を成し遂げるか」。

三浦さんは、そのすべてを総動員して見事に成就したのだ。

70歳代で2度のエベレストも登山史上、三浦さんのほかにいない。
80歳となれば、今回のテーマである究極の抗加齢への挑戦において、人類史に一つの「希望の軌跡」を残したと言っていいのではないか。

※三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 )
青森県青森市生まれのプロスキーヤー及び登山家である。クラーク記念国際高等学校校長、全国森林レクリエーション協会会長。 父の三浦敬三も山岳スキーヤーで、長男の三浦雄大は競技スキーヤー、二男の三浦豪太はリレハンメルオリンピック・長野オリンピック出場したフリースタイルスキー・モーグル選手。母方の祖父は、第15回衆議院議員総選挙青森県第5区選出議員の小泉辰之助。

※2013年5月日本経済新聞より

●偉業を達成した父に思う気持ち。三浦豪太さん

エベレスト頂上への長い道のりの第一歩を踏み出した時、日本のみんなの思い、チームの思いを背負いながら、父と一緒に同じ景色を眺め、世界の最高峰に立てるようにと願った。

初登頂の2003年は、70歳の父の前を歩き、頂上近くで父に譲り、後ろにぴったり付いていった。

その重い足を引きずりながらゆっくり登る姿に感動したものだ。

遅くとも、この確実な一歩がこの世界の最高点まで導いてきたのだと。

前回の08年は、僕が脳浮腫になって、足も踏ん張れず、意識が時々飛ぶ中で、8200メートル地点からシェルパ2人に抱きかかえられるように必死に降下した。

同じ景色どころか、父のサポートもできなかった。

これは父のプロジェクトで、サポートの失敗はあってはならないものだった。

思えば、最初のエベレストアタックは何もかも初めてで緊張しまくり、何が何だか分からないうちに始まってしまった。

2度目はもともとチベット側からのアタックのはずが、北京五輪聖火騒動で国境が閉鎖。

変更や延期に振り回されながらようやくネパール側からスタートラインについた。

今回はチームを新たにし、序盤の天候不順により多少の予定変更があったが、リズムよく進行。

何よりチームみんなが楽しい仲間たちで、その道のプロばかりであり、その姿から学ぶことが多かった。いろいろ吸収しながら、着々と準備を進め、気が付くと、それを楽しんでいる自分がいた。

今回のエベレスト登頂も雄一郎80歳のチャレンジである。

僕はそのサポートとして、自分にできることを全うすること。

決して無理をしてはいけないということを前回学んだ。

40~50キロ近くを背負って、父から「酸素を吸ったらどうだ」と言われながら、僕は無酸素で7600メートルまで全然大丈夫と助言を聞かなかった。

今回は、酸素も使用し、無理をしなかった。おかげで100倍も体調はいいと思ったほどだ。

 4月27日、第2子誕生(長女)のニュースが入ってきた。

思えば5年前の4月30日、これも遠征中に長男が生まれた。

何という偶然だろう。

長男が生まれ、あの困難な状況の中でもうろうとしながらも生きて帰らなければと意識を集中させた。

今は無事に父との親子登頂を果たせてホッとしている。

父の挑戦は人類史に残る挑戦だったと僕は思っている。

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