単独行で山の道標を見落とす度に遭難へと近づくことになる恐怖

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歩く人にとって道はつねにまっすぐではありません。
山では道標がないと限りなく迷路になってしまう。
ハイカーの多い人気の山は、たくさんのエスケープルートが設けられているので道標は多いものの、地名を理解していないとどこに通じているのかサッパリわからない。
ハイカーの少ない山は、道が笹藪で覆い隠されていたり、電力会社の作業道に迷い込みやすい。
1人で山を歩く場合は、特に道標には注意すべきだけど、同時に周囲の状況もよく見ながら歩いたほうがいい。

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昔は山がまだ登山の対象ではなく、猟師が獲物を得る場所であり、立派な道標はなかった。

猟師は自分の猟場を荒らされないように痕跡を残さなかったという。

しかし、後からきた猟師はすぐ前にだれかが歩いたことを察知し、場所変えをした。
「目印がないのになぜわかるのだろうか?」
昔の履物はワラジだったので歩いているうちに、どうしても藁がほぐれてくる。
それで藁の細かい繊維が落ちてそれが目印になるというわけ。
それだけ昔の猟師のカンのするどさ、注意深さがひしひしと伝わってくる話だ。

その点、現代の山の道標は過保護と思えるくらい、あちこちに設けられているような気がします。
とはいっても一人歩きにはありがたいことには違いない。

まず、最初にあらわれるのが登山道のほとんどにあるといってよい大きな案内板。
これも道標に違いなく、大体のルートを頭に入れておくには参考になるので価値はある。

そして歩き始めると、いろいろな道標があらわれてきます。
木製、金属製などで「○○山へ〇キロ」「○○小屋まで0分」という具合。
なかには登山者がより正確な時間を書き変えているものも見うけられます。

樹林幣に入り、いよいよ山登りらしくなると、木々の枝や幹につけられた布切れやリボンなどが目につく。
これは冬期登山用につけられたもので、確認材料として見逃がせない。

稜線に出て岩稜地帯になると、黄や赤のペンキで塗られているのが○、×、/などの印です。
時には二方向にわかれていることもあるが、ルートを目で追って自分で登れそうだな、と思ったほうを歩くべきでしょう。

また、稜線上でよく見かける、岩を積み上げて作ったケルン。
ガスに巻かれた時などの悪天候時には大いに役に立つ。
しかし、いたずらに林立するケルンは、崩れた時に危険なので作るべきではない。

ところで、疲れてくると気になるのが、道標に書かれている「○○まであと0分」という表示です。

急に時計がゆっくりまわり始めたように、時間が重くのしかかってくるのを感じる。
まして、道標どおりに「0分」歩いても着かない時は、ガッカリするもの。

そうならないためにも、道標の時間はあくまでも参考にすることです。
大事なのは計画段階で立てたタイムスケジュールを頭に入れておき、道標の時間にはあまり左右されないようにしたい。

ちなみに、人間の足で山道を歩くのは平均1時間で1.5キロ前後だという。

道標がたくさん設けられた山がある一方で不整備な山もたしかにある。
そんな時のひとり歩きは逆に不安なものです。

ひとり歩きの人に道標のない道ではどうしているのかというと、ザックの中にリボンの束を入れておいて不安な道では、このリボンを木の枝につけて歩く。
もし途中で道に間違っていることに気がついたら、全部はずしながら戻ります。
正しい時はそのままにしておくと、後続者の目印にもなるわけです。

また、これは工夫ではないが、「登山者の踏み跡やゴミを道標にしている」、「道がふた手にわかれていれば、使われていないほうはクモの巣が張っているので戻ってくるようにしている」というのもあります。

そのほかに「落ち葉がこなれていないのが使われていない道」、「急に伽斜がきつくなり瀧木がトンネル状になっているのはケモノ道」だから戻るようにしているという人もいます。

ひとり歩きで大切なことは、冒頭の猟師のワラジの話ではないが、自然にあるものも道標のひとつとして考えること。
それは道に迷い、ムダな体力を消費しないためにも重要なことです。

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