お田植え桜から地球環境の研究まで。深すぎる巨樹と人の関わり

縄文時代から現代に至るまで巨樹と私たちのかかわり方は、土地の風土共に引き継がれてきました。
例えば船に乗って好漁場を特定する場合の目印として、つまり「山当て」をおこなう上で、大きな岩などとともに巨樹は欠かせない道標として利用されました。

「あの巨樹とこの岩が重なって見えるところがいい漁場で、この場所はだれにも教えられない」
そういった使われ方がされてきています。

「大カツラまでたどり着けば、ひと安心。里まではもう少しだ」
山菜やキノコ採りの場合も、道に迷わないための目印として、奥山の巨樹はなくてはならないものです。
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山里の巨樹の場合は、季節を知る暦がわりにも使われていました。
「種まき桜」や「お田植え桜」です。

昔から春、桜が咲く季節が一定であることから、その時期に一斉に農耕作業をはじめました。
春ばかりでなく、秋にはお酒やお供え物を用意して、その神霊宿る巨樹の木陰で豊かな実りを祈ったりもしていました。

稲作を中心としたわが国の民俗に、巨樹が果たす役割は少なくありません。
このほか、豊かな木の実を供給してくれる巨樹もあれば、燃料や肥料となる落ち葉を恵む巨樹もあります。
時には地域の境界木としても使われているなど、地域の目印として愛されていました。

そのような様子は、江戸後期の日本画によく表れています。
葛飾北斎の『富岳三十六景・甲州三島越え』では、道標となったスギの巨樹があまりに太いので、その巨樹のサイズを計ろうと両手を伸ばしている数人の旅人の姿を観ることができます。

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安藤広重の『東海道五十三次』にはざらに多くの巨樹が描かれています。
街道の並木を描いたものが「戸塚」「平塚」など九枚あり、「袋井」「浜松」などにはランドマークとしての巨樹が数多く描かれています。

美しい景観を構成していく上で、巨樹の存在は無視できないものですが、その傾向は、一八世紀の西洋でも同様です。

イングランドの由緒正しい上流階級のカントリーハウスには、巨樹は欠かせません。
ゆるやかなうねりのある広大な草地の一角に配置された麓蒼たる森と、そこに生えた巨樹はシンボルそのものでした。
樹の種類は格式ある家柄を示す確かなシールとして、ニレ、オーク、ブナ、トネリコの巨樹が使われていました。

巨樹の活かされ方は、まだまだあります。

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戦前まで、北海道の開拓民は農地を求める際に、ニレの巨樹を目当てに探したといわれています。
ニレが大きく育っている場所は、肥沃な農地になることが、開拓民たちには経験的にわかっていたからです。
アメリカの西部開拓でも同様で、ニレを求めて開拓民は移動していったそうです。

近年では、巨樹がもつ年輪が過去の環境状況を記録していることから、古気象学の研究素材ともなり、自然度を示す環境指標として貴重なバロメーターの役割も果たしています。

アメリカのジャイアント・セコイアなどは、新しいエコッーリズムの対象として大いに注目を集めています。ジャイアント・セコイアの森には、150種の昆虫と37種のクモ類が棲息しているといわれ、研究と調査が続けられています。

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