世界遺産登録で儲け話に歓喜する富士山!商売人達の逞しい商魂と問題

日本人の象徴として名高い富士山が、2013年6月22日に国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界文化遺産に決定。
勧告で除外を求められた三保松原も一転して登録が認められ、地元の静岡、山梨両県の関係者らは悲願達成に沸き立っているというが・・・・。
yuho2013-06-23

 

●日本人の心通じた、美しい姿を後世に・・・

土壇場で逆転登録が決まった三保松原の地元、静岡市では、驚きと歓喜の声が上がっています。
「三保松原は富士山の一部」と訴えてきた静岡県や市の主張を、この日の審議で、ドイツなど多くの国が受け入れたからです。
三保松原は5万本以上の松林が広がる海岸線。
浮世絵などで富士山と一緒に描かれた東海道随一の絶景。

「日本人の感性を外国の人も理解してくれた」

「三保の松があってこその富士山。除外を勧告されたときは残念だった。今日決まって本当にうれしい」

「今年の夏は国内外からお客さんが増え、忙しくなりそう」

「日本人の心のふるさとが、世界の富士山になった」

「晴れの日も雨の日も富士山を見てきた。きょうは本当にきれい。富士山も喜んでいるのだろう」

「富士山は日本人がイメージを共有できる数少ない財産だ。日本全体で環境を守っていきたい」

 

●観光客の増加に伴う儲け優先思考を懸念

喜びに沸き立つ富士山周辺ですが、不況にあえぐ日本人の中にあって、景観保持がどこまでできるのか?言い方を変えれば、どこまでむき出しの商魂を抑えられるのかが問題になるでしょう。

山梨県富士河口湖町の富士山五合目観光協会は、景観を損なわないよう看板や横断幕を使わないと申し合わせていました。

しかし、世界遺産に決まったことを祝し、7月1日の山開きまではと、特別に看板を立てられました。
書いた言葉は「美しい姿を後世に」。

山開きがはじまるとこの看板は、撤去されるそうだけど、ちょっと危険なにおいがしてきます。
どんな理由であれ、そこにひとつ事例ができてしまうと、自分の都合の良い解釈をする人が次々と現れて、本来の目的がなし崩しになってしまうことがよくあるからです。

土産物や観光施設を始めとする広告、景観保持を訴える看板が、あちこちにあふれるのではないだろうか?
そんな光景が目に浮かんできます。

観光協会では「魅力を伝えていく責任を強く感じている」と身を引き締めているそうですが、それがかえって魅力を損なうことがないように願いたいものです。

世界遺産観光は、できるだけ登録時「そのままの状態」を皆望んでやってくるのですから。

ユネスコ側から「開発の拡大防止」「登山者や観光客など来訪者の管理」が“宿題”として出されてもいます。悲願は達成したが課題はたくさんあります。

 

●なりすまし登山者のゴミ意識の啓蒙が急務では?

富士山ブームで、観光客や登山客がさらに急増するのは必定。
ゴミ持ち帰りなどのルールが守られるかなど懸念も強まります。

「山への畏怖の念が薄れている」と心配するのは6合目の山小屋「星観荘」の経営者。
登山の知識のないまま訪れる人が増え、けがや急病で山小屋に緊急避難する人も後を絶たない。

「救護体制をもっと充実させないといけない」と警告。

ボランティアを募って登山道のゴミ拾いを続ける財団法人「富士山をきれいにする会」(甲府市)も「地元の人たちが必死で努力していることを忘れないでほしい」と環境への配慮を訴えています。

ハイキングや登山を趣味に、年に数回は山歩きを楽しむ人にとっては、山に残すゴミに対する意識は高い。
しかし、富士登山の流行に乗って街を観光するノリでやってくる「登山者になりすましたニセ登山者」が一番扱いにくく、マナーが悪い。

山梨、静岡両県は、登山客を抑えるため入山料徴収を今夏試行する方針だが、世界遺産登録で富士山ブームが過熱するのは避けられそうにありません。

 

●それでも世界に誇れる富士山は、日本の象徴であり続けることは間違いない

富士山の世界遺産登録までの道のりは、曲折があったという。

日本は1992年に世界遺産条約を批准し、富士山の自然遺産登録を目指したが開発やゴミ問題で断念。

霊峰として信仰され、浮世絵など芸術の対象になった歴史を見直し、目標を文化遺産に切り替えた。

このため日本を象徴する存在でありながら、国内17番目の登録になりました。

条約批准の翌93年、法隆寺地域の仏教建造物(奈良県)と姫路城(兵庫県)が文化遺産、屋久島(鹿児島県)と白神山地(青森、秋田県)が自然遺産に登録。94年に古都京都の文化財(京都府、滋賀県)、96年に原爆ドーム(広島県)などが次々に登録された。

富士山も92年、地元の自然保護団体が協議会をつくるなど、自然遺産をめざす機運が高まります。

しかし、屋久島や後に自然遺産登録された知床(北海道)、小笠原諸島(東京都)などの手つかずの自然に比べ、富士山にはゴルフ場開発や登山者によるゴミ問題を抱えていました。

それでも環境省は2003年、自然遺産の推薦候補に富士山をリストアップ。

しかし、有識者らでつくる同省検討会は「人の手による改変が進んでいる」と指摘。文化庁は候補地の暫定一覧表への記載を見送りました。

地元の静岡、山梨両県は方針転換を迫られ、05年に合同会議を開き、議論の末、文化遺産を次の目標に据えることに。

富士山の歴史を振り返れば、登山道は修行の道とみなされ、江戸時代に庶民の山岳信仰の対象になっています。

日本最古の歌集の万葉集に詠まれ、日本を代表する芸術の浮世絵にも数多く描かれてもいます。

それから地元の小中学校で、富士山を学ぶ時間が設けられるなど「富士文化」の再評価が始まりました。

同時に、地元住民や観光団体は登山道や富士五湖など周辺の清掃活動を続け、自然環境の改善に一体で取り組みました。

こうした努力やアピールが実り、文化庁は07年に世界遺産候補の暫定一覧表に富士山を記載。政府は12年、「信仰の対象」と「芸術の源泉」を強調する推薦書をユネスコに提出。

ユネスコの諮問機関は今年4月、「日本の国家的な象徴で、その影響は日本を越えて及んでいる」と文化的価値を評価し、登録を勧告。ユネスコ世界遺産委員会の正式決定につながったのです。

 

 

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