地球のどこもが書斎だった「芦澤一洋」

アウトドアの古典的名著である遊歩大全を翻訳したアウトドアライターの芦澤一洋氏。
本物志向が成せるのか、読書のセンスも時代の先をいっているという感じがする。
きっといつも本を片手に、山や川へ自然の中でくつろいだのではないだろうか。
※以下は1999年に発行されたOUTDOOR誌より転載。

y0022-5

スポンサーリンク

それは私の青春、私の反抗、私の自由、私の本棚

「私の嗅覚はどうやら狂ってはいなかったようだ。本棚にはウイリアム・バロウズの『裸のランチ』、ケラワックの『路上』、『ダルマハム(禅ヒッピー)』、『ビッグ・サー』、などといっしょにシンクレア・ルイス、メンケン、マーク・トゥエインなどが並んでいた。
(中略)
シェリダンの求めているものが彼の青春、ビート・ジェネレーションの青春、五〇年代をずっと引きずっているものであることは間違いなかった。
そしてそれは私の青春、私の反抗、私の自由、私の本棚でもあった」
(『西洋毛鈎鱒釣師譚』森林書房)

ロイヤル・ロビンスの『クリーンクライミング入門』の押し絵を描いたクライマー、その後フライ釣りをやらかし、それの絵解き大門書『カーティス・クリーク・マニフェスト』(76年)を著したシエリダン・アンドレアス・マハランド・アンダーソン。

芦澤一洋はこの男に会いたい一心で、数人のご当地アウトドアズマンの情報を唯一の頼りにアメリカ中西部を捜しまわる。

1977年のことだ。そしてついにアリゾナにシエリダンを訪ね、板を打ちつけた手造りの小屋で、彼と痛快にして泣かせる時を過ごすのである。
そのときに垣間見た手製の本棚に並ぶ本を、右のように記述しているわけだ。

知り合ったときから、彼はいつも小脇に数冊の本を抱えていた。

黒スーツに渋めのクレストタイを締め、黒セルフレームの黒メガネ。

野坂昭如、野末陳平で宣伝された当時のプレイボーイの典型スタイルに、コリン・ウイルソンやビートニクの作家の本が抱えられているのである。

のちのノーフォークジャケットやシャミークロス・シャツにダウンベストやポーラーフリースのジャケット、といった芦澤アウトドア・ファッションの変遷を知る人には、奇異に見えるだろうスタイルで。

そのころは気づかなかったのだが、とりわけビート世代ものとそれに関連する書物がお好みだったことは、50年代が青春だったことを思えば充分にうなずけるのである。

なにせ、19歳の冬、角川書店から発売されたデニス・ストックの写真集『ジェームズ・ディーン』(57年)を買いに走り、胸を騒がす世代だったのだから。

ともかくよく本を読んでいた。どんな場所でも読んでいた。

だからおそらく、小脇のビートニク本はケルアックの『路上』なら福田実・訳の初期のものだったろうし、同様に『禅ヒッピー』なら小原広忠・訳のもの、バローズの『裸のランチ』なら鮎川信夫・訳のものではなかったかと思うのである。

ときには、公開されたばかりのゴダールの『気狂いピエロ』を「見たか」と聞かれることもあった。

ベラスケスの絵画論を湯船で読むベルモンドは女房のアンナ・カリーナと日常の退屈さから逃亡を企てる。
反抗、旅、暴力、死。自爆するベルモンド。青い海。〝見つかった!
何が?永遠″。ランボーの詩の引用。これがビートなのだと言いたかったのか。

アウトドアライフ関連本を神保町の「ブックブラザー」で探すことを教えてくれたのは、釣りを習ってしばらくしてからのことだった。

いまだにポロポロになりながら大切にとってある72年度版「カペラス」カタログは、その教えのたまものである。

若い釣り好きにこれを見せるとへへへーツ、平身低頭、ぼくは一躍尊敬される人になるのだ。

しかし「ブックブラザー」のほかに「東京堂」「悠久堂」「大久保書店」へと巡り、ほこりで汚れた指先をそのままに、「冨山房」なる地下喫茶に駆けこむ楽しみは教えてもらえなかった。
だいぶ後のエッセイで知るのである。

「僕は決まった書斎も、読書机ももっていない。
だからどこででも本を読む。喫茶店でも読む。
家にいる時は、庭先にタープを出し、いぐさのビーチ・マットを敷いて、サングラスをかけ、腹這いになって読む。キャンプにでかけた折りも同じこと」
(『アーバン・アウトドアライフ』講談社)

彼のエッセイや論評を読んで得するのは、的確な引用とその出所を明記していることだ。
ときにはうるさいほどに脚注を挿入し、読者の読書欲に挑戦するのだ。
それにしても彼のそのほとんどの著作物が、絶版というのはなんとも惜しい。

ところで彼が挙げるただ一冊のアウトドア本は、ソローの『森の生活』か中西僧堂の『定本野鳥記』のどちらかという。
読んでみないか。

テキストのコピーはできません。